手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「イスラームとの講和」内藤正典 中田考

イスラームとの講和 文明の共存をめざして」2016 集英社新書

西欧とイスラームとの関係について、私は、もはや両者の関係は「水と油」で、どこまでいっても交わることのないものであるという現実を一度、直視したうえでないと衝突を抑止できない考えている。どちらかが相手をねじ伏せることも、啓蒙することもできない、

 この前提に立って、「講和」という新たな観点から、暴力の応酬を止められないかと考えた。言い換えれば「休戦」の方途を探るということである。また、イスラーム学の立場から中田先生によるイスラーム的講和のありかたについての見解を巻末に収めている。

                      内藤氏のまえがきより

内藤氏、中田氏の著書を続けて読んで思うのは、自分がこれまでいかに欧米側の視点からしかものを見てこなかったかということだ。

お二人の著書により蒙を啓かれまくりの日々だ。

本書を読むと、たしかにまったくイスラームと西欧は「水と油」で交わることのないものだという認識に同意したくなる。

同じ一神教でも世界認識がまるで違う。

イスラームに「領域国民国家」はなじまない。「領域国民国家」がなじまないイスラーム圏に「領域国民国家」というシステムを導入したことによって、今の混乱が起ってゐる。

中田氏はこの根源的な矛盾を解決するために「カリフ制再興」を提唱し、巻末に補遺として「イスラーム法の講和規定について」を寄せてゐる。イスラームの代表としてのカリフが西欧と講和に臨むのである。

すごい構想だ。ドキドキする。

こんな提案ができる人達が日本にゐるということを嬉しく思う。

と同時に、内藤氏や中田氏の業績・知見がどうも現在の日本政治にまったく生かされてないようで、とても残念に感じる。

以下、メモ。

内藤 じゅあ、とりたててモチベーションもないまま、サラフィーになるムスリムもいるということですか?

中田 ええ、理論的にも分かりやすいし、実際になるのもたやすいので。だからあっという間にサラフィーは増えますし、実際になるのもたやすいので。実際すでにヨーロッパに一二万人いると言われています。

 私もすごく驚いたのですが、実はシリアは、アラブ世界の中でも、非サラフィー的な中世期なコスモロジーが現代においてももっとも強い国だったのですね。といいますのは、シリアではアサド政権が、原点回帰的なサラフィー主義にも通じるムスリム同胞団的なものを壊滅させてしまい、権力に阿る伝統主義しか残らなかった結果、サラフィー主義が非常に弱い国になっていたのです。

 それがこの一年か二年かで、あという間に、宗教的なシリア人はほぼみなサラフィーになってしまった。現代の伝統的なイスラーム世界は、イスラームとは相容れない領域国民国家の枠組みの中で実は非常に精神性を失っています。だから、原点回帰的なISが求心力を持ってしまったという事情があるのです。この点をふまえなければISの問題は理解できません。

                             49頁

中田 宗教間対話のどこに限界があるのかといいますと、「宗教と宗教」の関係を前提にしている点です。現代は基本的には世俗化された世界ですから、宗教と宗教の間の齟齬よりも、一つの宗教の中の「世俗の言葉」と、「原理主義(この用語は好きではありませんが)の言葉」との亀裂のほうが大きいのです。ですから、宗教的に原理主義的な勢力と対話ができない人たちが集まっても本当に意味がないのです。

 しかし、現状では、宗教間対話に参加する人たちは、自分たちが正しく、自分たちと合わない人たちはすべてテロリストだとして糾弾するというような流れになっており、「原理主義者」と呼ばれる人たちを最初から排除しています。そんな彼らの言うことは相手の耳には届きません。

 (中略)

 しかし、政治の話をする時は現実主義的に考えないといけませんので、宗教間対話はそこに対応できていないのです。特に現在の我々の社会の枠組みである「領域国民国家」というものは、国民国家は相互に敵対関係にあるというのが基本です。ですから、まず敵と敵との間でいかなる関係をつくるかというのが外交の基本になるわけで、その結果として相対的に安定した共存関係が生まれる、それが国際秩序と呼ばれるものです。そこまでリアルに認めて、「敵である」「根本的に共約不可能な価値観を持っている」集団同士がどうやっていくのか?敵同士の間でどう和平条約を結ぶのか、それを考えていくことが今求められているのです。

                          56-57頁

中田 アフガニスタンの人は文明人ですから、爆破を仕掛けた側と被害を受けた側が友人のようににこにこ笑って話し、礼拝の時間になると一緒に礼拝していました。

内藤 そこが大事です。アフガン人たちのそういう態度に「文明」を見出せるかどうか。欧米諸国は、自分たちの基準にそぐわないものを野蛮と決めつけてしまうけれど、敵同士でも、同じ座卓を囲んで鍋をつつく度量をもっているほうが、よほど文明人ではないかという気がします。

                            184頁

中田 ホルムズ海峡の機雷の件では、さすがにイランから抗議されていましたね。

内藤 そうでした。ここ数年、授業をしていて恐ろしいと思うのは、学生がまったく地理をしらない。高校で世界史が必修化され、地歴の中で地理を選ぶ生徒が減り、教える学校も減ってしまった。昔の小学生のほうがまだ地理を知っていたと思えるレベルです。かつれは学校や家、身近なところに地球儀がありました。安倍首相自身「地球儀を俯瞰する外交」と言っていますが、政治家、行政官、ジャーナリスト、そして市民もまた地理的な感覚、世界の空間的認識が不足しています。今はネットで簡単にどこでも地図を見られるのですが、日本人の世界認識は確実に衰えています。イランがあって、ペルシャ湾があって、サウジアラビアの南にイエメンがあり、北では隣国イラクからシリア、レバノンシーア派ベルトができると言っても、瞬間的にその地域の地図が思い浮かぶ人はほとんどいないでしょう。

                       218-219頁