「からだに貞く」1977 「おもさに貞く」1978 春秋社
野口三千三の「原初生命体としての人間」(1972年刊行)を数年前に読んで衝撃を受けた。
再読しようかなあと思ってゐて、その前に他の本も読んでみようと「からだに貞く」および「おもさに貞く」を読んだ。
結論、「原初生命体としての人間」の衝撃を超えない。
随所に著者の天才的なひらめき、金言があり、何度もハッとさせられたが、全体としてみると体系性に欠け、語源探索的な叙述が延々とつづくので疲れる。
飛ばし読みなんてめったにしないぼくが、けっこういいかげんに読んでしまった。
以下、メモ。
「私なんかからだが固いから、体操なんてとても駄目です。運動神経がにぶいんです」
いざからだを動かす段になると、多くの人がこう言ってしりごみをする。
私はこのコトバを聞くたびに、そういう人たちの傲慢さが気になってしかたがないんです。自分のからだが固いということ、運動神経がにぶいということを自分で結論づける能力が、いったい自分にあると思っているのだろうか。もう少し素直に、自分のからだを見つめてみる必要があるんじゃないだろうか。固い・柔らかい、鈍い、鋭い、ということはどんなことかを自分で考えてみたことがあるんだろうか。
「からだに貞く」10頁
ある日、開いたばかりの花を見ていたら、ふと、あっこれは生殖器だ、と思ったんです。ほんとうに愕然としたんです。そして、植物は逆立ちしてるんだなあ、というすごく新鮮な感動に打たれました。口や頭を地面に入れて、地面の中で植物をとっては上へ送る。生殖器はそのいちばん先端にあって、かくすことなくおおらかに空け開いている。それどころじゃない、誇らしげに鮮やかな派手なお化粧までしている。素直だ。素朴だ、おおらかだ!!
ああ、これがほんとうの逆立ちの姿なんだ!!私はその場で逆立ちをしたい衝動をおさえて、うちへ飛び込んだ。そして服をみんな脱ぎ捨てて、素裸で、ふわーっとばかり足をひらく逆立ちをしたんです。
最高に気持ちよかったですねえ。
同、44頁
私は、人間にとって、努力することのできる能力よりも「興味をもつことのできる能力」が大切だと考えている。自分の欠点を、できないということを、下手で弱いということを、嘆き責めるよりも、自分にもこんないいところがあったのか、こんなことができたのか、下手だけれどもなんとかできた。自分が弱いということは、他の弱いものの価値もよく分かるということだ。楽だということは、楽しいことで、それは美しいことだ。楽だということは、気持がいいことだ。気持がいいということが最初で最後の基準ではなかろうか。・・・というようなことが分かってくることを喜び、「自分を愛おしく感ずること」「自分の能力を認めて喜ぶこと」の方が大切だと思う。
「自虐趣味もいいかげんにしろ!!」「それこそ傲慢無礼・権威主義の裏返しであることを知れ!!」「自分のからだを私有物視するな!!」と私は言いたい。
同、133頁