手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「国家神道と日本人」島薗進

国家神道と日本人」2010 島薗進 岩波新書

むづかしい本だから読むのがなかなか骨だったが、それだけに学ぶところ多い書物だった。

著者によれば「国家神道」とは「天皇と国家を尊び国民として結束することと、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の主軸となった神道の形態」である。

GHQ占領下における「神道指令」と「天皇人間宣言」によって「国家神道」は解体されたと理解されてきたが、実はそうではない。GHQが解体したのは国家と神社神道の結合のみであり、皇室祭祀は維持された。

そして、「保存された皇室祭祀と神社神道の関係を回復し、神道の関係を回復し、神道の国家行事的側面を強めようとする運動が活発に続けられてきた」。

敗戦後も、国家神道は存続してゐる。

国家神道とは何か」が見えなくなっているために、日本の文化史・思想史や日本の宗教史についての理解もあやふやなものになっている。当然、「日本人」の精神的な次元でのアイデンティティが不明確になる。「国家神道とは何か」を理解することは、近代日本の宗教史・精神史を解明する鍵となる。この作業を通して、明治維新後、私たちはどのような自己定位の転変を経て現在に至っているのかが見えやすくなるだろう。このことこそ、この本で私がもっとも強く主張したいことだ。(まえがき)

もうすぐ今上天皇が譲位し、新天皇が即位される。新天皇がどのような象徴天皇像をお示しになるかに関心が集まってゐる。

また、生前退位の特例法の制定過程や新元号発表の経緯を見るに、現政権は国家と皇室を結び付け、天皇制を政治的に利用して権力構造を強化しようとしてゐるようだ。

国民の警戒は薄い。新元号の制定で10%近くも内閣支持率が上がるということが起ってゐる。

こういう状況にあって、本書が提示する問題意識と学問知識はいよいよアクチュアルなものになってゐると思う。

以下、メモ。

神道についてよくある誤解は、神道は神社とその崇敬の宗教だとすることだ。これは狭い神道理解だ。神道とは日本の土地に根ざした神々への信仰を広く含んでいる。神社参拝以外の形で、たとえば天皇崇敬という形で神々への信仰が鼓吹されることも多い。実は天皇崇敬こそ国家神道の主要な牽引車だった。国家神道は神社以外の場、とりわけ近代国家の構成員になじみが深い学校や国民行事やマスメディアを通して広められた。それは江戸時代に形作られ国体論を拠り所とし、国民国家とともに形成された神道の新しい形態だった。

 皇室祭祀の国民への浸透を支えたのは神社祭祀だけではない、学校や公的行事や印刷物を初めとするメディアが関わってくる。天皇崇敬や国体論という点では、神社組織以外の機関やシステムがより大きな影響を及ぼした。こうして、第二次世界大戦の終了に至るまでの期間、皇室祭祀と天皇崇敬を核とする神道的な儀礼と思想の秩序が、「公」生活の広い領域をおおっていった。この時期の日本のナショナリズムは、神道祭祀を行い、皇祖皇霊の権威に基づいて徳を教える天皇の対して、国民が畏敬の念と愛着の心情を分け持つことによって強い統合力を発揮した。これが「国家神道」とよばれる宗教性の内実であり、たいへん新しいものだ。