「下り坂をそろそろと下る」2016
坂の上を目指してがんばる時代は終わった。寂しいけれど、下り坂をそろそろと下りていこうと主張してゐる。深く共感。
「はじめに」でわたしたちが受け入れなければならない三つの寂しさについて書いてゐる。
一つは、日本は、もはや 工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
この三つめのうち、三番目がもっともむづかしいと著者は言う。日清戦争以降の120年間、アジアで唯一の先進国として「上から目線」でふるまってきた日本が、はたして「アジアの一国」として名誉ある振る舞いができるようになるだろうか。
ぼくが一番関心があるのもここだ。
「私たち日本人のほとんどの人の中にある無意識の優越意識を、どうやって少しずつ解消していくのかということ。」
この本が出てから、もうすぐ三年。状況はどんどん悪化してゐるように見える。
もはや「無意識」とも言えない感じがする。
政府が公然と韓国・北朝鮮への敵愾心を煽りたて、ヘイトスピーチは野放図で、メディアの記事にもあからさまな嫌韓・嫌北がみられる。
平田は「寂しさに耐えることが、私たちの未来を拓きます」と言う。
ぼくは深く同意するけれど、権力者はそれができないようだ。日本は五輪と万博につきすすんでゐる。
実際、もうポイント・オブ・ノーリターンは過ぎてしまって、総体としての日本は坂道を急激にころげおちるしかないのかもしれない。
そう書くと暗澹たる気持ちになるが、この本であげられてゐる地方都市の成功事例を読むと、没落日本の中にも明るい兆しがあることがわかる。
著者が哲学者・鷲田清一のいう「しんがりのリーダーシップ」をひいてゐる箇所が興味深い。
これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければならない。そのときに必要なのは、人をぐいぐいとひっぱっていくリーダーシップではなく「けが人はいないか」「逃げ遅れたものはいないか」あるいは「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。滑りやすい下り坂を下りて行くのに絶対的な安心はない。オロオロと、不安の時を共に過ごしてくれるリーダーシップが必要なのではないか 。