生活の芸術

ぼくはここで踏ん張る

「背後」を「セゴ」と読む人。

 安倍首相の「読み間違い」と「言い間違い」の多さに驚いてゐる。

 彼は今年、国会答弁で「訂正云々」を「テーセーデンデン」と読んだ。また国連の演説で「背後には」を「セゴには」と読んだ。

 それから、こちらも国会答弁で、自身のことを「立法府の長」と言った(正しくは「行政府の長」)。なんとこの言い間違いは4度目のことらしい。

 びっくりだ。

 「読み間違い」に関しては、それが普通では考えられない間違いかたをしてゐる点で、「言い間違い」に関しては、その信じがたいほどの気の緩みという点で、実に興味深い。

 安倍晋三の「読み間違い」と「言い間違い」から彼の個性と人格について、ちょっと考えてみたい。

 

 まづ、「言い間違い」から。

 「行政府の長」を「立法の長」と言ってしまう「言い間違い」。この間違いについてはまだ理解できる。理解できるというのは擁護できるという意味ではもちろんなくて、首相という立場の人間が絶対にしてはいけない間違いだが、間違えてしまうその脳ミソの仕組み自体はシンプルなものだと思う。

 古典的な言い間違いの例を挙げてみる。

A「ピザって10回言って」

B「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」

A「ここは?(ヒジを指さす)」

B「ヒザ!」

A「ヒジだよ~」

 という一連の「10回言って」もの。

 それから「男はつらいよ」における森川信の超傑作アドリブ。寅さんとのやり取りで頭がクラクラしてきたおいちゃんがさくらに向かって言う。

「まくら、さくらとってくれ。いや、ちがう、さくら、まくらとってくれ。」

 という「まくら/さくら」ギャグ。 

「10回言って」では、B君の頭に「ピザ」という音が強く残ってゐるために、それに引っ張られて肘をヒザと言ってしまう。

「まくら/さくら」では、一刻も早く枕が欲しいという強い気持ちがあるために、また母音が同じであるために、さくらと枕を混同してしまう。

 いづれもある語が強く頭に印象づけられてゐる状態で、その語の「音」に引っ張られて別の語を発してゐる。そういう「言い間違い」だ。

 では安倍首相の「立法府の長」発言はどうだろうか。どうも上の二つとは違ってゐるようだ。「立法府」と「行政府」は音がまったく似てゐない。音に引っ張られるという要因はこの言い間違いに関してはまったくない。だから、この言い間違いは「10回言って」や「まくら/さくら」のような可愛げのある言い間違いではない。

 安倍首相の頭には「自分は立法府の長である(もちろん行政府の長でもある)」というはっきりとした自覚がある。4回も間違えるのだからこれはかなり強固な認識だ。

 与党が衆参両院でいづれ過半数議席を維持してゐる。国会での審議などというのは時間をつぶせばいいだけで、何時間か「議論してるげ」にやりすごした後に強行採決すればよい。実質、オレは立法府の長なんだよ。本気でそう考えてゐる。

 しかも、いくら国会で没論理の答弁をしても国民はすぐに忘れてしまうからテキトウにうっちゃておいていいんだとナメてかかってゐる。だから「立法府の長」と言ってしまう。

 要するに「国会をなめてるので本音が出た」というだけのことだ。

 

 つづいて「読み間違い」について。

 「云々」を「デンデン」と読み、「背後」を「セゴ」と読む。これはなかなかの難問だ。「こんな読み間違いは聞いたことがないぞ!」とみんな思ったのではないだろうか。かなりヘンテコな間違いだ。

 こちらもまづ、よくある読み間違いを挙げてみよう。

 「萩(ハギ)」を「オギ」、「荻(オギ)」を「ハギ」と読んでしまう「荻/萩」どっちだ問題。これはもちろん字面が似てゐることによる混乱である。

 それから「婉曲(エンキョク)」を「ワンキョク」と読む間違い。これは「椀」「腕」などの「婉」とつくりが同じ別の漢字の音「ワン」からの連想でそう読んでしまう。

 他にすぐ思いつくものだと「尽力(ジンリョク)」を「ジンリキ」、「御用達(ゴヨウタシ)」を「ゴヨウタツ」、「重複(チョウフク)」を「ジュウフク」と読む間違いなどがあるだろうか。これらはいづれも複数ある漢字音のうち、不適なものを当てて読んでしまう間違いである。

 上に挙げた間違いは、間違いではあるにしても、これをとりたてて「バカ」とか「教養がない」とか言って非難するのも憚られる種類のものである。「荻」と「萩」などはまぎらわしいことこの上ないし、御用達なんか「ゴヨウタツ」でもいいぢゃんという気になるし、「重複」を「ジュウフク」と読むのだって「ま、そういう間違いはするわな」程度のものだ。

 どの間違いも「あ、これが言いたかったんだな」とすぐ分かる間違いで、同音意義語があったり、そう読んでなんとか通じるものであったりする。

 こんな読み間違いを批判するとしたら、やはり「揚げ足とり」だと思う。

 しかし、「云々」を「デンデン」と読み、「背後」を「セゴ」と読むのは看過できない。これは異常だ。

 安倍首相は国会で「デンデン」と言い、国連で「セゴ」と言ってゐる。動画を見ればわかるが、彼は自分の読み間違いに気づいてゐない。これはどうしたことだろうか。

 わたしたちは「語」をつらねて文をつくり、それにより意味のやりとりをしてゐる。これを言語コミュニケーションと呼ぶ。

 語とは意味を有する音または文字の連続をいう。人間は「音」と「文字」というそれぞれ「聴覚」と「視覚」という異なる感覚により把握する二種の記号体系を、「意味」を介して結びつけてゐる。これは真剣に考えるとたいへん不思議なことであるから深入りしないことにするが、要するに、人間は音声言語と文字言語を扱うことができ、そのためにことばを書き残したり、書いてあるものを読み上げたりできるのだ。

 読み間違いとは文字から音声への変換ミスのことだが、文字言語と音声言語を結びつけてゐるものが「意味」なのだから、普通は「意味が通るような間違いかた」をするものである。つまり上記したような「あ、これが言いたかったんだな」と分かる間違いをする。

 しかるに、「デンデン」と「セゴ」の間違いは「意味が通るような間違いかた」ではない(この点で、麻生太郎が「未曾有(ミゾー)」を「ミゾーユー」と読んだ間違いとは根本的に異なる)。「デンデン」を辞書でひけば「太鼓・鼓などの音を表す語」が一つあるが、当然文脈にそぐわない語である。「セゴ」はまったくのゼロである。

 つまり「デンデン」「セゴ」は、意味が通じることを想定して読み上げられたものではないということである。

 この間違いは彼が「漢字の読み方を知らない」ことからくる間違いではなく、「文字から意味を把握しそれを音声に変換して相手に伝える意思がない」ことからくる間違いである。言語コミュニケーションの否定から生まれる間違いである。

 「読む」ということばを「意味を理解して発音する」と解するならば、安倍首相の「デンデン」「セゴ」は「読み間違い」でさえないのかもしれない。

 彼は文字の羅列から「意味」を把握することなく、漢字から連想される音を発して並べる。そして自分が発した音が耳に入っても、その音から意味をくみとることはしない。それではじめて「云々」を「デンデン」と、また「背後」を「セゴ」と読むことができる。

 こう書くと大変重篤な症状のような感じがするが、「文字や音から意味を抽出しない」という脳処理は、実際には誰でもやってゐることである。文字を追ってページをめくってはゐるが、なんだか気が散って意味が入ってこないとか、興味がないから人の話を右から左に聞き流すとか。この時、脳は文字や音という記号を認知しながらも、そこから意味を抽出する回路は「オフ」にしてゐるのである。

 安倍首相がヤバイのは、その「オフ」状態が国会や国連でひょいと出てしまうことだ。「デンデン」「セゴ」と言ってしまうのはそういう仕組みだと思うのだが、彼はそのことに気づいてゐない。彼の脳は「意味生成を行う回路をオフにする」癖がついてゐるのではないだろうか。

 ぼくはそう思う。

 意味を把握せずに文章を読みあげる。また自分でことばを発しながらも、それを自分で聞いてゐない。そういう癖がついてゐる。

 これはなぜだろうか。

 ここからぼくの仮説はちょっと飛躍する。

 おそらくそれは、彼が自身の精神を防衛するためにとってゐる「防衛機制」なのだ。以下にそう推察する理由を説明する。

 安倍晋三は、先述のとおり、国会での議論を完全にないがしろにしてゐる。そんなものいらないと思ってゐる。だから野党の質問には論点をずらし、はぐらかし、詭弁でさえないような支離滅裂なことばを連ねて時間稼ぎをする。彼の答弁はまともに聞いてゐるとちょっと頭が変になりそうだと感じるくらいに「気持ち悪い」。

 これは国会での答弁ではないが、安倍首相が今年生み出した典型的な「意味不明な措辞」として下に引用する。

 5月にテレビ出演した際、拉致問題に関わり、キム・ジョンウンの「日本はなぜ直接言ってこないか」という発言について問われた安倍首相の応答だ。

『直接言ってこないのか』ということは恐らく、キム・ジョンウン委員長に直接という事であろうと思います。我々は、北京ルートを通じて、あらゆる努力を今まで行ってきておりますし、今も行っています。えーつまり、キム・ジョンウン、あの、ムン・ジェイン大統領が、直接会って話をしている、また或いは、ポンペオ長官が、直接会って話をする。ま、それぞれの時にですね、拉致問題について働きかけをしていただいていると思いますが、えー、つまり、なぜ、えー、日本が自分自身に直接言ってこないのかと、ということだと私は受け止めています。これはあの、あの、見方によってはですね、いわば、えー、それには、応じるかもしれない、という分析もできるんだろうなと思っています。

 まったく意味不明である。これを真剣に理解しようとすると気が変になりそうになる。それが正常だ。人間の脳はこういう没論理には耐えられない。

 安倍首相は国会や会見やテレビの席で、都合の悪いことや、うまく説明できないことを聞かれた際に、この種の意味不明なことばを並べてごまかす。

 安倍の脳はこのとき、自身の没論理なことばから身を守るために、意味生成の回路を「オフ」にしてゐるのではないだろうか。安倍の支離滅裂なことばは脳にとっては暴力だ。その暴力に最もさらされてゐるのは安倍自身だ。

 そういうわけで、「意味生成の回路をオフにする」という癖がついてしまい、「ハイゴ」「セゴ」のようなヘンテコな読み間違いをしてしまったのではないだろうか。

 ぼくは人間というのはけっこう簡単に「狂気」に陥ってしまうと思ってゐる。安倍首相はもう少し自分の脳をいたわったほうがよい。彼はことばの力をナメてゐると思う。自身の支離滅裂な発言で、彼の脳はダメージを受けてゐる。

 安倍首相は一度、映画「パプリカ」を見たらどうだろう。発狂したハカセのことばと安倍首相の意味不明なことばは、そんなに遠いものではないと思うぞ。

www.youtube.com