生活の芸術

あるいは正しいことを可愛げにいう練習

ザギトワの新作

 月一コラムの第一回だ。
 
 月初に毎回1600字程度、つまり原稿用紙にして4枚分くらい何か時評みたいなものを書きたいと思ってこういう項目を立てた。文章を書いてものを考えることを習慣づけたいというのが一番の目標だ。毎日ニュースを追っかけて年表を作成するのとは別に、そこから一歩深いところにすすんで、いま日本や世界で起こってゐること、その変化の本質について考えることが必要だと思うからだ。書くことはけっこう苦しいが、苦しいからこそ得るものが大きい。
 
 完全に理解してゐることしか書けないから真面目に勉強するし、書くときには脳ミソが普段とは別の働きかたをするから、自分でもアッと驚くような発想が出てくることがある。いうなれば脳ミソの筋トレみたいなもので、知力に負荷をかけて知性を鍛えることができる。
 
 そういうわけで準備をして実際に書きはじめたのだった。タイトルは「お父さん、憲法違反なの?」。こんなふうにはじまる。
 
「お父さん、憲法違反なの?」
 
 安倍晋三の人格を漢字一字で表すとしたら「卑」だ。自民党総裁の三選が決まった経緯を振り返ってそんな風に思った。
 
 総裁選への立候補を表明する前、安倍は山口市内で開かれた自民党山口県連の「安倍晋三内閣総理大臣を囲む会」に出席し「長州出身の政治家として正しい判断をし、皆さまと共に頑張っていきたい」と述べた。まづ、山口ではなく長州という維新以前の名称をもちだすあたりがまことに趣味が悪いのだが、そもそも彼は山口出身でも長州出身でもない。彼は東京生まれ東京育ち、小学校から大学まで成蹊学園に通った東京人なのだから長州出身はウソだ。指摘するこっちが阿呆に見えるような卑小なウソだ。
 
 こんな卑小なウソをつかずに「尊敬する祖父と父の郷里である山口から出馬してゐる政治家として」とかなんとか言ったほうがよほどいいのに。けれどそうしないのはどうしても維新(カッコイイ・燃える)を想起させる長州という言葉と自分を結びつけたいからなんだろう。彼は何かあれば維新とか世界一とか金メダルとかノーベル賞とか、その種の「偉い」文句と自分とを結びつけようとする。その闇雲な態度がいかにもみっともない。
 
 挨拶の中で、安倍は憲法改正についても言及してゐる。自衛隊は国のために命をかけてゐるということを述べた上でこう続けた。
 
《しかし、今もなお、彼らが合憲だと言い切ることができる憲法学者は全体の2割にしかならない。よって残念ながらほとんどの教科書には、違憲論についての記述がある。憲法違反だとの記述がある。そして彼らの子供たちもこの教科書で学ばなければならない。ある自衛官からこう言われました。お子さんから「お父さん、憲法違反なの」。それ言われてつらかった、というお話を伺いました。私たちはこの状況に終止符を打つ大きな責任をもっている、こう思います。》(こちら
 
 個人的には「お父さん、憲法違反なの?」は今年の流行語大賞だよ。なんてイヤらしい言い方だろう。憲法学者の9割が反対する戦争法案(平和安全法制)を強行採決しておいてどの口で言うのか。それに子供をダシに使うところが実に卑怯ぢゃないか。日本男児の風上にもおけないわな。何が「日本を取り戻す」だよ。冗談も休み休みにしてもらいたいワ。
 
 はい。
 
 ここまで書いてゐたのでした。
 
 で、ぼくはここから沖縄県知事選における玉城デニー氏の当選につなげて、ヤマトが今「異物」として扱い弾圧の対象にしてゐる沖縄の視座こそが大切で、これを本土の人間がすすんで取り入れることが必要なのではないか、みたいなことを書こうと考えてゐた。そうして平壌で行われた今年三度目の南北首脳会談に言及し、日本の没落と朝鮮の躍動を対比させて終わりにしようと。
 
 「半島が統一されれば人口8000万人の朝鮮国ができあがる。北側が中国の改革解放を模倣すれば奇跡の経済成長をとげるだろう。人口も経済規模も、日本は縮小し朝鮮は拡大し、やがて逆転する。これは歴史の必然であるように思える。とするならば、没落していく日本に見合った国家アイデンティティをどんなかたちで確立することができるのか、真剣に考えておかなくてはいけないのではないか」
 
 うん。大事なことだと思う。
 
 けれど内閣改造のニュースを見てなんだか放りだしたくなった。「全員野球内閣」というやつだ。八つ当たりみたいで申し訳ないが「いわば、全員野球内閣であります」という首相の言葉を聞いて、早速ヤル気がなくなってしまったわけだ。酷いよ。
 
 去年の夏に「仕事人内閣」というのが出来て、秋にはモリカケ問題の追求から逃れるために少子高齢化と朝鮮危機という「国難」をデッチあげ「国難突破解散」をした。そして「北朝鮮のおかげ」で大勝利をおさめたのだった。で、今秋は「全員野球」か。ナメてんのか。たいがいにしてくれよ。というわけで、ぼくはあっさりと初回の構想を放り出すことに決めたのだ。
 
 だからザギトワの新作について書く。
 
 ことわっておくが、この文章の最後にいたって上記した時事問題とザギトワのスケートがうまいことつながってきれいにおちがつく、なんてことはないからそのつもりで。
 
 ザギトワの新作を見る前に、フィギュアスケートのルール変更についておおまかな理解をしておかなくてはいけない。
 
 ぼくは元来競技としてのフィギュアスケートの熱心なファンではない。競技会に出た選手の演技を網羅的に見て採点を仔細に分析したりしないし、そもそも採点の項目全てについて把握してもゐない。「キム・ヨナの芸術」に詳しく書いたことだが、ぼくはフィギュアを舞踊芸術の一つとして見てゐる。だからメダルの色とか得点とか何連覇したとかいうことにはほとんど興味がない。ある選手(ダンサー)がある曲に合わせて滑る(踊る)ことを3分なり4分なりの作品として見て、どれだけ舞踊的感動を与えてくれるか。ぼくにとってはそれが全てだ。
 
 これがフィギュア鑑賞としていびつなものであることは重々承知してゐるが、ぼくはフィギュアを見る喜びのうち舞踊的側面だけを増幅させて楽しみたいから、点取り競争としての楽しみを意識的に完全にとっぱらって見ることにしてゐるのである。
 
 そういうわけだから、ぼくにとってはショートプログラムもフリースケイティングもエキシビションも同じであって、ジャンプの種類や回転数などをとりあげてああだこうだ言う趣味もない。
 
 舞踊的感動とは全体としてみたときの美しさ、肉体がいかにのびのびと動いてゐるか、動きのしなやかさ、優雅さ、そういうものの総体をいう。あるプログラム、ある演技を見て「ああ。なんて気持ちがいいんだろう。なんて美しいんだろう」と思えなければ難しいジャンプを飛んだとしてもぼくにとってはつまらないのである。
 
 だから採点ルールにはほとんど頓着しないなのだが、ちょっと調べてみたところ、今回のルール変更はけっこう大きいもので、しかも上に書いたような舞踊的観点からフィギュアを楽しむものにとって歓迎すべきものであるようなので触れておきたい。時事通信の記事から引用する。(こちら
 
 フィギュアスケートのルールが2018~19年シーズンから大幅に改正された。ジャンプの基礎点は軒並み下がり、4回転は0.8点から2.5点の範囲で6種類とも全て下がった。ジャッジがジャンプ、スピン、ステップの技を評価する出来栄え点(GOE)は最高5点から最低でマイナス5点までの11段階になり、従来の7段階から拡大。特にジャンプに関しては、質の高いものを跳べば昨季までとほぼ同水準の高得点を得られるが、一方で失敗によるリスクはより高まった。
 
 スケーティング技術、技のつなぎ、演技力、構成、音楽の解釈の5項目を評価する演技構成点の割合が相対的に上がり、表現力や芸術性をこれまでより問われることになる。
 
 男子の4回転争いの過熱化にかねがね疑問を感じてゐたぼくにとっては嬉しいルール変更だ。フィギュアスケート技術委員の岡部由起子氏は同記事の中で次のように述べてゐる。
 
 見て素晴らしいとみんなが思うような質の良いジャンプを跳んで、完成度の高いプログラムを演じた選手が勝つ競技にしたい。失敗の仕方によっては点数が大きく減ってしまうが、きれいに成功させればより点数がもらえる。(新しいルールは)そういう考え。
 
 きれいに着氷できなかったり転倒したりしても、回転さえしていればその方が点数をもらえるから(難しいジャンプを)組み込むという声も聞いたことがある。トリプルアクセル(3回転半)に関して、最近の女子ではエリザベータ・トゥクタミシェワ(ロシア)がなんとか降りたが、転ぶのを前提に跳んでいる選手がいると聞いた。(技術委員会で)それは違うという話になった。どんなに難しいことをやっていても失敗したらだめ。成功しないと点数がもらえないというルールでなくてはいけない。見ている人が納得できるスポーツでなくてはいけないという思いは強くある。
 
 ぼくは氏の考えに完全に同意する。2回転より3回転が偉い、3回転より4回転が偉いという発想がそもそもおかしい。少なくとも舞踊的観点からはおかしい。大切なことは美しいかどうか、そのジャンプが全体の振り付けのなかできちんと位置づけられてゐるか、それがいかに音楽と一つになってゐるか、そういうことをもっと大事にしてほしい。ずっとそう思ってゐた。
 
 ことに浅田真央キム・ヨナがライバルとてしのぎをけづってゐた頃、フィギュアを巡る言説は「とべるの、とべないの、どっち~!」みたいなものばかりだった。シニア以降はキム・ヨナのほうが勝ち越してゐたわけだが、それに不満を感じる人の口からは「どうして難しいトリプルアクセルに挑戦してゐる真央のほうが点数が低いんだよ!」みたいなトンチンカンな意見が多く聞かれた。これはナンセンスだ。
 
 挑戦することは立派だしその姿が多くの感動を与えたくれたのは事実だとしても、それがきれいに成功したものでないならば点数は低くて当然だろう。
 
 また、浅田がトリプルアクセル固執することで失ったものも大きかったということは是非とも指摘しておきたい。トリプルアクセルの成功率はもの凄く調子がいいときを除いてかなり低かった。だから浅田は演技のあいだ始終ジャンプのことを気にしてゐた。まったく音楽を聞いてゐない、振り付けがただの動きになってゐてそこに舞踊が宿ってゐないことが多かった。それが彼女の演技を芸術性の乏しいものにしてゐた。ぼくはこのことを彼女の偉大な才能ゆえに惜しむものである。
 
 男子のジャンプ競争について小塚崇彦氏が面白いことを言ってゐる。(こちら
 

 男子に関しては、4回転アクセルの可能性などが取りざたされています。ただ、今の男子はすごく技術の方に走っている印象も受けるので、そこは少し規制をかけてもいいかなと思っています。人間の限界に近づいています。

 平昌五輪ではネイサン・チェン選手(米国)が、フリースケーティングで4回転を6回入れていました。6回も入れるとやはりケガのリスクも高まりますし、体の心配も出てくる。せっかくここまで積み重ねてきた体をダメにしてしまうことはなんとか避けたい。確かに4回転をたくさん跳ぶと、迫力があって見ていて楽しいとは思うのですが、フィギュアスケートはそれだけではない。やはり上からルールで規制をかけて、選手を守ってあげるということも大事なのではないかなと個人的には思っています。

 
 氏の言うとおり4回転は迫力があるのだが、「おー!」となるばかりでその「おー!」というのはサーカスを見てゐるときのそれに近く、芸術表現にはなじまないものである。それにジャンプすることそのものに意識がいきすぎてしまって、助走も長くなり、音楽との乖離が生じてしまう。そこで芸術性が大きく損なわれる。ジャンプのたびに作品が分断されるから、結果としてジャンプしか記憶に残らないような演技になってしまう。だったら「ジャンプ」という競技をつくって別にやったらどうかと言いたくなる。
 
 個人的には4回転はなくても全然かまわないのだが、それは極端だと思うから、小塚氏の言うとおり、ケガしない程度に規制をかけてやってもらえればと思う。
 
 また女子に関しては、浅田ほどの大才が選手生活の全てを捧げてトリプルアクセルの習得に励んだ結果、膝を痛めて引退ということになったのだから、もうトリプルアクセルが女子の限界ということにして、「無理して挑戦しなくていいジャンプ」くらいの扱いにしていいのではないか(乱暴ですみません)。トリプルアクセルが他のジャンプに比べて美しいということは全然ないのだから。
 
 さて、ザギトワである。
 
 アリーナ・ザギトワは昨シーズン(2017-2018)シニアにあがり、今年2月のピョンチャン五輪でいきなり金メダルを取ってしまったのだった。その技術の成熟度にぼくは仰天した。15歳にして、技術的にはキム・ヨナのピークと遜色ないところに達してゐた(それは言いすぎだぞ)。
 
 2017-2018のSP「ブラック・スワン」、FS「ドン・キホーテ」、EX「アフロ・ブルー」。
 いやあ素晴らしい。
 どれもこれもいい曲を選んだものだ。しかし「アフロ・ブルー」はたいへんセクシーだが、ちょっとエロすぎませんかね。15歳にここまで性的な演技をさせるのはちょっとなあと思うぼくはカタブツなのでしょうか・・・
 
 それはいいとして今シーズン。なんと五輪から半年で身長が7センチも伸びたらしい。
 SP「オペラ座の怪人」、FS「カルメン」、EX「サバイバー」。

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 くどいようだが性的すぎないかね(汗)。「サバイバー」だよ。
 確かに凄く色気があるし魅力的なお尻ではあるけれど、16歳の少女にこういうクネクネ系のエロスを表現させるのはちょっとよくないと思うな。いや、もちろん興奮しますよ。すごく興奮しますよ。けどね。
 
 SP「オペラ座の怪人」、FS「カルメン」について。
 
 身長が伸びて体重が増えるとジャンプに影響が出るというのはよく聞く話だが、彼女に関してそれはないようだ。五輪で金メダルをとってマスコミ対応などで忙殺されてゐただろうに、調子を落とさずに新作を見せてくれたことについてまづ感謝したい。とても素晴らしい。それを前提として、いくつか不満があるから書いておきたい。
 
 まづ、曲がダメだ。「オペラ座の怪人」はとくに酷いと思う。これは曲の編集の問題だと思うのだが、いくらなんでも曲想をころころと唐突に変えすぎではないだろうか。まったくまとまりを欠いてゐる。これでは振り付けも統一感を欠いたものになるし、スケーターも音楽と一体になることはできないと思う。残念だ。
 
 ジャンプについてだが、両手もしくは片手を頭上にあげて跳ぶジャンプがある。これはタノジャンプと呼ばれてゐて、スケートファンの間でも賛否が分かれてゐるようだが、ぼくは基本的に非の立場に立つ。端的に言ってきれいぢゃない。これは軸がぶれるために難しいそうで、だから点数が高く設定されてゐて点数を稼げるから多用してゐるのだろうけれど、美しくない。両手をあげたものがとくに。
 
 あくまでぼくの好みではあるけれど、このタノジャンプはちょっとしたスパイスとして使う場合には、ハンバーグの横のパセリみたいに映えることがある。例えば三連続ジャンプの三回目にちょこっといれるとか。
 
 けれどタノジャンプが主役になると、たぶん難しいからだと思うのだが、ジャンプの魅力である気持ちよさが一気に減退してしまう。ジャンプで何が大切かというと「大柄であること」だ。のびのびと大きいということだ。タノジャンプは小さく見える。
 
 あと振り付けについて、これは昨シーズンのプログラムについても言えることだが、ちょっと慌しすぎるようだ。いろんなものを詰め込みすぎてやかましい印象を与える。大きなメロディーのときにも細かな動きが多くて緩急がつかず単調になってゐる。大きくなったザギトワの体格を活かせてゐない。はい次、はい次、という具合に振り付けに急かされてゐるように見える。
 
 このザギトワの慌しさについては、ちょっとまだ判断できかねてゐるというのがぼくの正直な感想だ。振りが詰め込みすぎなだけではなく、ザギトワの振り付け消化能力と音楽を感じる力が不十分であるというのもあるかもしれない。そこは今後じっくり考えたいと思う。シーズンは始まったばかりだ。後半に入るとこなれてきてまた印象が変わるかもしれないから。
 
 楽しみだ。 
 
 エロはもう少しおさえてほしいけどね。