生活の芸術

あるいは正しいことを可愛げにいう練習

第46回衆議院議員総選挙(2012年11月16日)

第46回衆議院議員総選挙 2012年11月16日 
 
投票率:59.32%(戦後最低を更新)
民主党のキャッチコピーは「動かすのは、決断。」
自民党のキャッチコピーは「日本を、取り戻す。」 
 
 Japanese General election, 2012 ja.svg出典:Wikipedia
 
 定数480のうち自民党294議席公明党31議席、与党合計で325議席獲得。自民党の絶対得票率は小選挙区で24.67%、小選挙区で15.99%。民主党は公示前の230議席から57議席に、約4分の1へと大惨敗。
 自民党政権公約において、安倍総裁はこう述べてゐる。
 
 この3年余、民主党は、国民との約束を実行できないだけでなく、数々の内政・外交での迷走により、現在の危機的状況を招きました。遅れる復興、長引くデフレ、わが国固有の領土・主権に対する外交の挑発。これ以上、政権担当能力無き政党に日本を任せられません。ましてや唐突な離合集散で出来上がった急ごしらえの政党では、何も決められない政治を繰り返すだけです。
 
 ここで書かれてゐる民主党政権への、そして政治そのものへの「幻滅」が自民党を大勝利へと導き、2006年以来二度目となる安倍政権が誕生することとなった(危機突破内閣)。
 小泉長期政権の後に、安倍・福田・麻生と約1年毎に短命政権が続いた。そうして2009年、鳩山由紀夫率いる民主党への政権交代がおこったのだったが、思えばこれも自民党政治に対する「幻滅」から生まれたものだった。鳩山が実現しようとしたアジア諸国との友好関係樹立と対米自立は、方向性は正しかったが、そのための国民的合意は出来てゐなかった。結果、官僚・メディアそして国民からの助力を得ることが出来ず、いともあっさりと頓挫してしまった。
 
 鳩山の志もむなしく、民主党政権下の日本では「中国への恐怖」が増大し、その裏返しとしての憎悪が巨大化する。2010年に尖閣諸島での漁船衝突事件が起り、さらに同年、ついに中国のGDPが日本を抜き2位になった。この二つの事件が日本人の世界認識に与えた影響は極めて大きい。尖閣での軍事衝突の恐怖から日米同盟の神聖化が進み、「中国と友好関係を築き冷戦構造の緩和に努め、米国への依存を減らす」という選択肢が消滅した。
 また、GDP世界三位への転落は、失われた10年が20年になったことを決定づけるとともに、「金ならあるゾ」「アメリカの次に豊かな国」「アジアで一番の先進国」といった自意識を修正する必要があることを日本人につきつけたろう。
 
 鳩山が倒れ、管になる。東日本大震災が起り、原発が爆発する。災害対応の不手際を問われて管は自任。野田が登場して原発の再稼動を決定。天災と人災で日本はぼろぼろだ。どこにどう手をつけたら日本というシステムを健全化できるのか。厚い雲のような鬱屈が日本を覆った。
 
 もはや「愛国」しかない。
 
 そこで安倍晋三の登場となる。日本は中国や北朝鮮になめられてゐる。それは軍事力が足りないからである、戦争ができない国だからである。米軍にはなんとしても沖縄に駐留を続けていただき、自衛隊の米軍への「一体化」を進めよう。そうして軍事的抑止力に担保された「なめられない国」をつくろう。これが愛国精神の実行である。そのためには民主党政権が毀損した「日米関係の信頼」を取り戻さなくてはいけない。
 
 2012年夏に発表されたアーミテイジ・ナイ報告書は「日本は一流国家であり続けたいのか、 それとも二流国家に成り下がって構わないのか? 日本の国民と政府が二流のステータスに甘んじるなら、この報告書は不要であろう」という恫喝から始まる。安倍政権は「一流であり続ける」ために、ここで提案されてゐた原発再稼働、TPP交渉参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権の行使容認を次々と実行していく。日米同盟の絆がどんどん深まり、国際社会=日米同盟、「日本を守る」=「日米同盟を守る」といった図式がメディアを通じて国民意識に定着していくことになる。
 
 3年余、野党として政権奪還を期してゐた自民党は、いつのまにか「保守」政党ではなくなってゐた。文藝春秋一月号に安倍が寄稿した論文「新しい国へ」の最後はこんな言葉で締めくくられてゐる。
 
 今回の総選挙で自民党は「日本を、取り戻す。」というスローガンを掲げています。
 これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。
 
 戦後の歴史から日本を取り戻すと言う以上、戦後の歴史は失わたものだという認識なのだろう。安倍とその支持者達は「戦後をなかったことにしたい」のである。こんな言葉は「保守」の精神からは絶対に出てこないはずだ。なんなら「革命的」と言っていい。この言葉は端的に日本国憲法に照準されて出たものだ。日本国憲法の「押し付けられた」という経緯や、国際社会への「謝罪」という戦争放棄の性格、さらには「権利ばかりで義務がない」条文が日本人を自虐的にし、公共心をなくさせ、誇りを失わせたというのが彼らの考えだ。
 
 衆院選の公約で自民党憲法改正を掲げてゐた。2012年に同党が発表した「憲法改正草案」は保守であることをやめた彼らの革命的な性格がとてもよく出てゐる。片山さつき参議院議員の解説を聞いてみよう。
 
国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのはやめよう、というのが私達の基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました! (2012年12月のツイート)
 
 国に求めてばかりで国のために何するでもない、権利は主張するが義務は果たさない、そういう「いきすぎた個人主義」が蔓延して国を維持することが難しくなってゐる。これが自民党の基本的な考え方である。あけすけに言うならば「国家としてはさ、権利を主張する国民ってうっとうしいのよね」ぐらいの感じになるだろうか。こういう考えに基づく自民党草案は、現行憲法の原理である「人権を保障するために憲法によって権力を制限する」という立憲主義の理念に背を向け、逆方向に足を踏み出したものとなってゐる。草案は「国民の権利を制限し、義務を増やす」ことを念頭に書かれたものだと言っていいだろう。
 
 自民党草案によれば、国民は国旗・国家を尊重せねばならず(第三条)、家族が互いに助け合わねばならず(第二十四条)、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公共及び公の秩序に反してはならない」(第十二条)。驚くべきことに、現行憲法最高法規である第九十七条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」は丸々削除されてゐる。
 
 自民党草案は法理を示す文書というよりは、憲法の体をした彼らのイデオロギーの宣言文のように見える。自民党は野党時代に「国民政党」「包括政党」であることを完全にやめたのだ。
 
 自民党の圧勝が確定した時、安倍総裁は以下のように述べた。 
 
 自由民主党に信任が完全に戻ってきたということではなく、民主党の間違った政治主導による政治の混乱と停滞に終止符を打つべきという国民の判断だったんだろうと思います。
 
 「謙虚」な認識だ。安倍の言うとおり、国民は自民党に信任を与えたのではなかったし、ましてや憲法改正を負託したのではなかった。国民はただ「首相が毎年のようにコロコロ変わる」ことにウンザリしてゐたのだ。冒頭に示したとおり、投票率は戦後最低の59.32%、自民党の絶対得票率は小選挙区で24.67%、小選挙区で15.99%。自民党を積極的に支持してゐる国民は多くなかった。政権与党は内閣を組織し行政府を運営する。彼らは自分達に投票しなかった人たち、そして投票に行かなかった人たちの声を聞かねばならない。
 
 勝利会見で「謙虚」な認識を示した安倍にはしかし、そんなあたりまえの公人としての倫理など露ほどもないのだった。口では殊勝なことを言いながら、勝てば官軍、国民の過半を無視した政治運営を強行していく、長い長い第二次安倍政権がここに誕生したのである。