生活の芸術

あるいは正しいことを可愛げにいう練習

「拉致問題の解決」ということ

 6月12日にシンガポールで史上初の米朝首脳会談が開催される。韓国のムン・ジェイン大統領がシンガポールに入り、三者で「終戦宣言」を行うと見られてゐる。この宣言には米朝間の「不可侵の確約」が盛り込まれるとの報道もある。

 朝鮮戦争終結するということは理屈の上では冷戦構造の終結を意味する。即ち朝鮮半島を含む東アジアの政治、外交、安全保障、経済のあり方にまで大きな、いや根本的な変革が起る。

 2000万の人口を抱え、資源の豊富な北朝鮮が中国のような改革解放を行い、そこへ諸外国からの援助・賠償・投資が舞い込むとなれば、それこそ奇跡的な経済発展を遂げるに違いない。

 南北の融和が進めば、そして米朝対立・米中対立が無くなれば、当然、在韓米軍及び在日米軍の存在理由もなくなる。こんな嬉しいことはない。

 日本は対米従属があまりにも深く浸透したせゐで具体的な目標として掲げる政治家は皆無だが、これを機に日米同盟を見直し、在日米軍を撤退させることは可能ななずだ。法的にも精神的にも米国から独立することが出来るはずだし、それ以外にぼくらのアイデンティティ・クライシスを克服する道はないように思える。

 そのために必要なのは南北朝鮮と、そして中国と友好関係を築くことだ。これが絶対条件だ。

 その意味で、半島の平和にどれだけ貢献できるかがとても重要だ。非核化はいかに可能か、冷戦構造終結後の新秩序はどうあるべきか。関係するすべての国のメンツを保ち、且つそれが恒久平和に繋がるような大きなビジョンを提示する必要がある。

 が、安倍政権にそんなビジョンはない。新秩序が形成されては困ると思ってゐる。ずっとこのまま米国の庇護の下、米国との一体化を深化させ、軍事力を背景にアジア諸国に偉そうにしてゐたいということなんだらう。

 だから蚊帳の外だ。それは当然なんだ。「米国と完全に一致」してゐることしかアピールしない国に一体誰が意見を求めるだろう。

 

 ピョンチャン五輪を契機として融和ムードが高まり南北首脳会談が開催され、米朝首脳会談の開催が決まった。すると安倍首相は思い出したように拉致問題に言及するようになった。「拉致問題の指令塔」を自認する安倍にはしかし、どうやら北朝鮮とのパイプがまったく無いらしい。

 だから彼が今年やったことはと言えば「ムン大統領に拉致問題の提起をお願いすること」と「トランプ大統領拉致問題の提起をお願いすること」だけだ。なんとも情けない。

 

 4月の南北会談の際に、ムン大統領は約束通りに拉致問題を提起した。そこでキム・ジョンウンはこう言ったという。「日本はなぜ直接言ってこないか」と。ずいぶんなめられたものだ。こんなになめられてゐるのはなぜなのだろう。憲法9条が邪魔をして戦争できないからだろうか。或いは核兵器を持ってゐないからだろうか。おそらくどちらでもない。

 たぶんそれは、日本が過去の歴史と向き合ってゐないからだ。日本が認定してゐる拉致被害者は17名。日本人はこの北朝鮮による拉致を世紀の大犯罪のように考えてゐるが、前世紀に日本が朝鮮人に行った犯罪行為はその比ではない。日本は35年間も半島を植民地にし名前を奪い、言葉を奪い、強制的に「日本人」にして兵士にしたり慰安婦にしたのだ。そして日本人はその過去の過ちについてまったく反省してゐない。そのことは日本人以外はみんな知ってゐる。

 だから北朝鮮拉致問題を取り上げられると「拉致問題は解決済みだ。それより植民地支配に対する賠償だ。」とつっぱねてしまう。どう考えても日本の戦争犯罪のほうが巨大であって、そこを否認しながら被害者意識にかられていきりたつ日本の態度はいかにも非倫理的だという感じを与える。

 もちろん拉致は犯罪行為であり、家族の心情に寄り添えば到底許せるものではないが、それをそのまま国家の態度として全面に押し出すのもをかしいだろう。実際、その結果、交渉のためのパイプそのものがまったくなくなってしまったわけだから。

 

 安倍は呪文のように「拉致問題の解決なくして国交正常化交渉はしない」と繰り返すが、現実的な態度とは思えない。「賠償を含めて国交正常化交渉を行い、平行して拉致問題についても協議する」が筋ぢゃないだらうか。

 歴史と向き合うことから逃げながら、拉致被害については大騒ぎする非倫理的な態度。また、「核・ミサイル問題」と「朝鮮戦争終結」について話し合う局面に際して、そのためのいかなる貢献もせずに拉致問題を放り込むナンセンス。これが日本の外交的影響力を大きく損ねてゐるのではないだろうか。また結果として「拉致問題の解決」を妨げることになってゐるのではないか。

 

 5月11日、安倍首相はテレビ番組に出演した。そこでキム・ジョンウンの「日本はなぜ直接言ってこないか」発言について問われこう答えた。曰く:

「『直接言ってこないのか』ということは恐らく、キム・ジョンウン委員長に直接という事であろうと思います。我々は、北京ルートを通じて、あらゆる努力を今まで行ってきておりますし、今も行っています。えーつまり、キム・ジョンウン、あの、ムン・ジェイン大統領が、直接会って話をしている、また或いは、ポンペオ長官が、直接会って話をする。ま、それぞれの時にですね、拉致問題について働きかけをしていただいていると思いますが、えー、つまり、なぜ、えー、日本が自分自身に直接言ってこないのかと、ということだと私は受け止めています。これはあの、あの、見方によってはですね、いわば、えー、それには、応じるかもしれない、という分析もできるんだろうなと思っています。」

 失敗を認められない人は、やがて現実そのものを拒否するようになる。結果彼の言葉と現実はその結びつきを失い、しどろもどろのうわごとを吐く。

 これほど支離滅裂な言葉しか吐けない人間が日本の最高権力者であるという現実にうそ寒い思いがする。この男のウソを糊塗するために官僚は虚偽答弁をして公文書を改竄し、自殺までしてゐるのだ。闇だ。

 

 安倍首相は5月14日、参院予算委員会で、北朝鮮に関して「最終的には日朝が交渉しないと解決しない問題」「日朝が会談しなければいけないことに、キム委員長に決断を迫りたい」と述べた。

 さらに6月8日の日米首脳会談後の会見で「早期に解決するため、私は北朝鮮と直接向き合い、話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意だ」と述べた。

 あらゆる手段を尽くして解決に全力を挙げて欲しい。生存者がゐたとして、もし家族と再会できる日が来るなら素晴らしいことだ。

 本当にそう思うが、今「決意」したのなら2012年に二度目に首相になってからこれまで何をしてきたのだらう。

 繰り返しになるが、安倍は昨年来「対話は無に帰した。最大限の圧力だ。」と言い続けてきた。外務大臣は国連で北朝鮮と国交を断絶するよう各国に呼びかけた。

 それがここえきて「直接話し合いたい」と言う。この変化、その動機はただ「バスに乗り遅れるな」という例のあれでしかない。いや、バスというより「米国と完全に一致してないと不安」という感情以外にないのではないか。いや酷い。

 

 2002年に日朝首脳会談が開催され北朝鮮は拉致を認め謝罪した。北朝鮮の報告では、当時日本政府が認定してゐた13人の拉致被害者のうち8名は死亡、生存者は5名ということだった。

 北朝鮮は生存してゐる拉致被害者5人の帰国を認めた。しかしこの時、5人は二週間程度したら北朝鮮に戻りその後に将来のことや家族のことを考える、「一時帰国」というのが政府間の約束だった。

 ここで日本政府はその約束を守らず5人を帰さないことに決めた。拉致したほうが悪いに決まってゐるが、ここで約束を反故にしたことが問題をこじらせたのも事実である。この決定を主導したのが当時の官房副長官安倍晋三

 安倍はこの「断固たる決意」と「毅然とした態度」即ち強硬姿勢によって人気を得て、2006年一度目の政権を獲得したのだった。

 安倍によれば拉致問題は「日本外交の最優先課題」であり、拉致被害者家族にも「この問題を解決する」と言ってゐる。

 しかしぼくは上の経緯を鑑みるに、端的に、安倍首相だから解決しないのではないか、と思ってしまうのである。

 

 本当に「そもそも」の話なのだが、日本政府が掲げてゐる「解決」の定義は全く現実的ではない。外務省のHPから公式見解を見てみよう。「北朝鮮による日本人拉致問題」という冊子がPDFで読めるようになってゐて、そこにQ&A形式で「解決の定義」が書かれてある。

北朝鮮による日本人拉致問題 | 外務省

 Q6 どうすれば、拉致問題が解決したと言えるのですか?

 A6 拉致問題の解決には、以下の三つを実現する必要があります。

    ①全ての拉致被害者の安全を確保し、すぐに帰国させること。

    ②北朝鮮が、拉致被害の真相を明らかにすること。

    ③北朝鮮が、拉致を実行した者を日本に引き渡すこと。

 これは無理だと思う。③などはまったく非現実的だ。

 ②の真相解明にしても果たしてどれだけのことが確認できるだらう。南京虐殺従軍慰安婦問題を見ればわかるように、「真実は何か」ということに固執すると結果として問題が複雑化して手がつけられなくなる。「真実」を究明する努力をしながら、どこかで妥協点を見出さないと「解決」はしないだろう。

 果たして安倍首相に「妥協」ができるだらうか。「強硬姿勢」が売りの安倍に。

 

 日本政府が認定してゐる17人の拉致被害者のうち、5名は帰国、8名は死亡、残りの4名に関しては北朝鮮は入境そのものを否定。日本政府は死亡したとされる8名も生きてゐるという前提で交渉するという立場だ。北朝鮮は生存者はもうゐない、だから解決済みだと言ってゐる。

 この二者が交渉を行うわけだが、現状、政府間交渉はどうなってゐるかというと、 まづ、2014年5月にストックホルム合意が行われた。

 ここで、北朝鮮拉致被害者を含む全ての日本人に関する包括的且つ全面的な調査の実施を約束し、そのための特別調査委員会を立ち上げた。

 同年10月、ピョンヤンで特別調査委員会と日本側の協議が行われた。ここで北朝鮮側から、証人や物証を重視した客観的・科学的な調査を行い、過去の調査結果にこだわることなく新しい角度から調査を進めていくという説明があった。日本側からは政府認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者を発見し、一刻も早く安全に帰国させることを求めてゐることを繰り返し伝達した。

 そして2016年2月、北朝鮮による弾道ミサイル発射を受けて、日本は独自に対北朝鮮措置を実施することを発表。北朝鮮はこれに反発して特別調査委員会の解体を宣言した。

 

 ここで日朝間の交渉は途絶へ現在に至ってゐる。安倍は「日本として拉致被害者の最後の1人までの救出をやりきる」と言うが、そのためにはまづ、調査結果を受け取る必要がある。そうでなければ生存者がゐるのかどうかさえ分からない。

 調査結果に関して、朝鮮半島が専門のジャーナリスト五味洋治氏が今年の4月、日刊ゲンダイのインタビューでこう述べてゐる。

米朝首脳会談と日本の行方は 東京新聞・五味洋治氏に聞く|日刊ゲンダイDIGITAL

最近、北朝鮮に行った友人が外務省幹部から聞いた話ですが、少しずるいところがあるともみられているようです。拉致被害者らの再調査などを含むストックホルム合意を受けて、北朝鮮は15年に報告書をまとめたんですが、それを受け取らない。内容を知っているのに、受け取らないと言うんです。まずは相手が出したものを見て、そこから交渉を始めて、乗り込むなり何なりして納得がいくまで調査すればいいと思うんです。日本側が止めてしまったままでは、日朝関係は動きません。

 日朝交渉が再開するとすれば、ストックホルム合意に基づく調査結果を受け取るところから始まると思うが、「内容を知ってゐるのに、受け取らない」ではどうにもならない。

 内容はどういったものなのだろう。受け取れないような内容ということは「やはり生存者はもうゐない」ということなのか。そうであった場合にそれを受け入れて「拉致問題の解決」とするのか。調査結果は信頼できない、としてはねつけるのか。いづれにしても調査結果を受け取らないと話にならない。

 生存者がゐるのか、ゐないのか、又、ゐるなら何人なのか。どういう内容であっても冷静に対応できるような世論を形成しておかないと拉致問題は「解決」しないと思う。しかし、現状、政府や与党やメディアから出てくる北朝鮮に関する言葉の基調は、とにかく「頭がをかしい」「キチガイ」みたいな国というイメージがある。それでどうやって交渉するつもりなのか、と思う。

 もう一つ大事なことだか、政府には「日朝関係=拉致問題」という姿勢を改めてもらいたいと思う。拉致問題は日朝関係の一部に過ぎない。

 まづ、今後の日朝関係はどうあるべきなのか、東アジアにおいて日本はどんな存在でありたいのかを明確にした上で、国交正常化交渉を進める。そうして拉致問題の占める相対的な位置が小さくなってはじめて、「解決」への道が開けてくるのではないだろうか。

 半島の平和にいかに貢献できるかが、今後の日本の国際的な立場、ひいては国家のアイデンティティそのものに大きく影響する。

 これは本当に大事なことだとぼくは思う。