お気に召すまま

ー半島情勢を中心にー

カオスの時代へ

 9月28日衆議院が解散された。

 安倍首相は25日官邸で行った記者会見で「この解散は『国難突破解散』だ」と述べてゐる。国難を突破するために国会を解散するのださうだ。まったく意味不明だ。彼の言葉が意味不明なのはいつものことで、意味不明な言葉を発し続けたせゐで、彼の知力・思考力はもう正常な活動ができなくなってゐるやうにみえる。

 会見によれば、安倍のいふ「国難」とは「急速に進む少子高齢化」と「緊迫する北朝鮮情勢」である。

 その「国難」を「突破」するために衆議院を解散し「消費税の使ひ道の見直しについて」と「北朝鮮問題への対応について」国民に信を問ふのださうだ。

 そこで持ち出してきたキャッチフレーズは「生産性革命」「人づくり革命」である。ちょっと前までは「仕事人内閣」が「一億総活躍」「働き方改革」を実現するといってゐたやうに思ふがぼくの記憶違ひだらうか。

「改革」が「革命」に変はったのは、ここ何十年か政治家達が「改革」を叫びすぎたせゐで「改革」といふ言葉がほとんど何の意味ももたない「イケメン」みたいな「ゼロ査定していい枕詞」と化してしまったからで、より大げさな言葉をもってくる必要が出てきたからだらう。しかし「革命」は「保守」を自称する政党が掲げる言葉ではないだらう。それは安倍の大嫌いな「左翼」が目指すものであるはずだ。が、彼にはそんな言葉の厳密な使用などどうでもよいのだ、きっと。言葉をぞんざいに扱ふことは、そのまま現実をぞんざいに扱ふことなのだが。 

 北朝鮮問題への対応については、

拉致・核兵器・ミサイル問題の解決なくして、北朝鮮に明るい未来などありえません。北朝鮮に、その政策を変えさせなければならない。そのための圧力であります。

「圧力の強化は北朝鮮を暴発させる危険があり、方針転換して対話をすべきではないか」という意見があります。

世界中の誰も、紛争など望んではいません。しかし、ただ対話のための対話には意味がありません。

拉致問題の解決に向けて、国際社会でリーダーシップを発揮し、全力を尽くしてまいります。

 と、相変はらず圧力強化の一点張りだ。「対話のための対話」を継続して行ふことが「有意義な対話」に至る唯一の道だとぼくは考へる。対話を否定し続けて一体どうやって拉致問題を解決するつもりなのか。

 中国とロシアは、北には核ミサイル実験の中止を、米韓には合同軍事演習の中止を求め平和的解決を訴へてゐる。その米韓も対話を促すメッセージを送り続けてゐる。

 北朝鮮にしたところで(彼らの特殊な言明はいつも分かりづらいが)対話を完全否定してゐるわけではない。彼らはずっと「米国とその追従勢力による核の威嚇がやまない限り、核・ミサイル開発を続ける」と主張してゐる。要するに条件が整へば対話に応じるといふことである。

 その中で「対話の試みは無に帰した。今は圧力だ。」と対話そのものを否定してゐるのは日本だけだ。米朝が和解すれば日本は孤立するだらう。

 安倍は積極的に危機を招来してゐる。結局のところ、外交能力がないから惰性的に強硬姿勢を取り続けてゐるだけのことだ。

 彼は上記二つの「国難」を「突破」するために衆議院を解散したさうだが、これはもちろん嘘である。こじつけである。

 少子高齢化など何十年も前からわかりきった話であり、消費税の使ひ道を変へるからといっても、そもそも10%に上がるのは2019年の10月のことなのだから今解散してどうこういふ筋のものではないだらう。

 北朝鮮情勢に関しては、誰もが思ふやうに、本当にそれが危機であるならば解散して政治的空白をつくるのはお門違ひも甚だしい。

 安部は「むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応によって、国民の皆さんに問いたいと思います。」と語ってゐる。

 彼は「むしろ」といふ副詞と「こそ」といふ係助詞によって強調している感じを演出してゐるが、前提である北朝鮮の核・ミサイル開発と、それを突破するために衆議院を解散するといふ結論がそもそも論理的に繋がらないため(といふか国難を突破するといふ語彙の組合せがそもそもをかしい)、やはり意味不明な言葉となってゐる。彼の頻用する「まさに」と「いはば」もただ強い語感を求めてのことで「意味」と「論理」はどうでもよいのである。

 安倍はどこかの時点で「論理的思考力」を―あるいは自ら進んで―失ってしまったのだと思ふ。それは、意味不明な言葉を際限なく述べて時間をかせぐことが論争に又政局に有利に働くといふ成功体験を彼がもってしまったからだ。

 ジャーナリズムの機能不全と有権者の無関心がそれを支へてきた。結果、政治言説は死に体となった。言葉が死に体となったために、現実もドロドロと融解をはじめ、ぼくらの足下にはじっとしてゐれば沈んでゆき、どこに足を踏み出してもぐにょりと撓んでぐらついてしまふやうな頼りない現実しかない。

 何が正しくて何が間違ってゐるのか。世界はどうあるべきであり、わたし達はどのやうな社会をつくり、そこでどう生きていくべきなのか。本質的な問ひ、ビジョン、理想、理非曲直は一顧だにされない。あるのは政局といふ名の浅ましいマウンティングの取り合ひだけだ。

 安倍が解散に踏み切った真の理由はいふまでもなく森友・加計問題への追求から逃れるためだ。野党がガタガタである今なら選挙に勝てると彼は踏んだらしい。それを多くの国民は「ズルイ」「卑怯だ」「姑息だ」「汚い」と感じた。

 この国民感情に敏感に反応したのが小池百合子東京都知事だった。

 9月25日、小池都知事は自身が代表を務める国政政党「希望の党」結党を宣言。そして驚くべきことに民進党の前原代表が希望の党との合流を独断で決定し、実質、野党第一党が消滅することになった。

 メディアは北のミサイルも安倍も忘れて小池報道一色となった。

 小池は常に「受けさうなこと」だけを言ってきた人だ。オバマ旋風のときにはカメラに向かってニッコリ微笑んで「チェンジ!」と言ひ、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げて大統領になった昨年、都民ファーストの会を立ち上げて都知事となった。

 関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者に対する追悼文送付を拒否した小池は、外国メディアから極右の政治家と評されることが多いやうに思ふが、安倍のやうなイデオロギー的極右といふよりは受け狙ひのファッション極右といふ感じがする。

 小池は民進党の議員受入れに関して「リベラル派は排除します」「選別します」と満面の笑みで述べた。その踏み絵が2015年に安倍自民が強行採決した違憲立法の安保法制、そして改憲だ。「この二つに賛成する者でないと希望の党には入れてあげないわよ」と宣言したのだ。彼女は前原をうまく騙して「わたし、冴えてる!」くらゐに思ってゐるのかも知れない。

 しかし彼女の傲慢な笑顔が有権者に対して「嫌な感じ」を与へたこともまた確かだらう。「参ったか!」といはんばかりの小池の微笑みに、ぼくはいかなる希望も抱くことができない。もしこの「嫌な感じ」が拡散されれば、希望の党の票が存外伸びないといふ可能性もあるだらう。

 民進党のリベラル派が結成するであらう新党の出方次第によって、即ち野党共闘の如何によっては、「安倍も小池も負ける」といふことだってあるかも知れない。

 ぼくは日本が半島情勢の平和のために尽力し、韓国と協同で米国からの独立を果たし、日中韓の友好を深めるべきだと考へてゐる。安倍も小池も御免蒙りたい。野党共闘を応援する。

 どう転んでも日本は長期的なカオスとなる他ないやうにみえる。この国には聡明で志の高い人がたくさんゐるにもかかはらず、彼らは政治家にはなりたがらずまたなれない仕組みとなってゐるのかも知れない。良識を持ち続けることがキレイゴトだとして馬鹿にされる時代だ。こんな現実にどっぷり浸かってゐては気が変になってしまふ。

 ぼくは日本人を半分降りたつもりでこのドロドロの現実を生きたいと思ふ。さうでもしないと良識も正気も保つことができないから。