お気に召すまま

ー半島情勢を中心にー

翻訳:英フィナンシャルタイムズ中国語版、鳩山由紀夫インタビュー

 鳩山由紀夫元首相へのインタビュー記事がフィナンシャルタイムズに載ってゐたので翻訳しました。 

 誤訳・悪文はぼくの浅学菲才のせゐです。ご容赦ください。

 なほ、仮名づかひは「現代仮名遣い」で書いています。では、どうぞ。

 

http://www.ftchinese.com/story/001072600#adchannelID=1300

フィナンシャルタイムズ(以下FT) あなたと午後の茶を:鳩山由紀夫(日本元首相)           

2017.5.19 徐瑾

 評価は分かれるにしても,日本の元首相、鳩山由紀夫は歴史的な人物である。

 2009年に民主党を率いて1955年以来二度目の(一度目は1993年)政権交代を成し遂げたこと、その後失意のうちに辞任し日本の政治的動揺を明らかにしたこと、そして近年提唱する東アジア共同体、これらは日本の内外で大きな注目を集めてきた。

 日中両国には情報の差や偏向があり、鳩山に対する評価もその一例である。中国人からみれば鳩山由紀夫はなじみ深い人物ではないが、日本の元首相であり、中国と韓国に謝罪した人物である。2015年、鳩山はソウルの“西大門刑務所”歴史館を訪れた際、跪いて祈りを捧げた。彼は釣魚島(日本では尖閣諸島と称す)、アジアインフラ投資銀行(AIIB)等に関する発言に関して、国内でしばしば「中国偏向」とみなされ、極端な人達は「国賊」とさえ呼んだ。沖縄の米軍基地移転問題に対する不手際から、就任当初は高かった鳩山の支持率は20%を割り込み辞任に追い込まれた。今日においても、鳩山と沖縄基地問題の話題となると少なからぬ日本人が釈然としない気持ちになるのである。

 FTファイナンシャルタイムズの「あなたと午後の茶を」では、鳩山は胸襟を開いて東アジア共同体、沖縄基地問題だけではなく、日本の右傾化、尖閣諸島等のアジアの領土問題について進んで語った。彼によれば右傾化する社会においては、いわゆる「政治的正しさ」は「政治的誤り」である。彼はそうした空気を読むことはなく(“空気を読む”とは日本の人間関係において、集団の雰囲気を壊さないことをいう、中国語の“察言観色”に近いか)、東アジア共同体の理念はまだ死んでいないと信じている。

 東京、午後二時五分。ザ・キャピトルホテル東京三階のカフェ。

 カフェの角、ここなら人の視線も逃れられるし、窓の外の景色を見るのにも好都合だ。このホテルはかつてビートルズ等の名士も訪れた、日枝神社などの名所に隣接し、国会議事堂や首相官邸もすぐそばにある。政界人脈の愛顧を受けているとのこと。ホテルの最新の設計は日本の著名な建築家、隈研吾の手になる。隈研吾は中国において、近年少しづつ有名になりだした感があるが、日本に来てみると「そこここにある」という感じがする。

  隅研吾のスタイルの特徴は木材などの天然素材を好んで用いることだ。このホテルも例外ではなく、大広間は原木を使い、エントランスの人の高さほどの生花にも木が添えてある。屋内のレストランとカフェは竹のカーテンで仕切られていて、他にもたくさんの植物があり窓の外の日本式庭園と呼応しているようだ。全体的にゆったりしていて優雅であるが、モダンさを失ってはいない。

  あれもこれもいい具合で、もし何も用事がないなら、こんなところで半時ばかりの休息をとりたいところだ。しかし本日のお客様、FT「あたなと午後の茶を」の主役、日本の元首相鳩山由紀夫氏はまだあらわれない。この企画のルールは同じくFTの「ランチをご一緒に」と似たようなもので、どちらも相手の指定した場所で会い、支払いはFTがもつというものだ。

 こういった条件での遅刻は多くない。FTコラムニスト、ルーシー・キャラウェイが最近コラム上で統計を出した。FT「ランチをご一緒に」において遅刻した人と時間通りに来た人の比率はおおむね1:5だったそうだ。どうやらインタビュイーにとって時間はメディアよりもずっと大事で、スケジュール管理はよくできているようだ。最近の有名な遅刻者はエドワード・スノーデンラッセル・ブランドだ。ルーシーに言わせればこれは不思議なことではなく「この二人のしたことは多くの人を失望させた。遅刻してもっと失望させたって、不思議でもなんでもないじゃないか」とのことだ。

 失望と不思議といえば、東京で遅刻は少し奇異だ。一般に日本人は時間をよく守る。とくにフォーマルな会見では5分前に来るのが基準になっていて、逆に10分も前に来ると失礼になってしまうから、だいたいちょっとぶらついてから所定の場所に行くのである。ホストとして、また道に迷った場合の余裕を確保するため、わたしは15分前に到着した。時間ができたわたしは、鳩山家の歴史を写した鳩山会館の写真を再度とりだし、元首相の人生をふりかえることにした。

 鳩山会館は美しい庭園に80種以上のバラを有する英国式建築で、各部屋には色彩鮮やかなステンドグラスが備えられ、その面積6000平方メートルを超える和洋折衷様式の建物だ。竣工は1924年で、当時一世を風靡した建築家岡田信一郎の設計である。ときの主人は鳩山由紀夫の祖父である鳩山一郎、日本の52、53、54第首相だ。鳩山一郎は戦後日本の最重要人物で55年体制の基盤をつくった人物と言われている。その後の日ソ共同宣言も保守政党の合併もここからはじまったのだ。90年代に入り鳩山会館は改修され一般に公開された。現在鳩山由紀夫氏が館長を務め、多くの日中友好事業が挙行されており、中国の企業人や観光客の自撮りスポットとなっている。

 ここからも鳩山家の光芒を見ることができる。海外メディアがしばしば「日本のケネディ家」と形容するように、確かに日本近代史における鳩山家の影響力は甚大だ。日本に議会が誕生した瞬間から、鳩山家と近代史は切っても切れない関係にある。日本に議会が誕生したのは1890年。江戸末年の美作勝山藩の武家に生まれた鳩山由紀夫の曽祖父鳩山和夫は1896年に衆議院議長に就任している。祖父の鳩山一郎は戦前すでに文部大臣等の職を経験し、戦後には首相を三期務めた。彼の父、鳩山威一郎はさほど政治に関心を示さなかったが、それでも外務大臣を務めている。鳩山由紀夫氏まで一族四代にわたって政治に携わっていることになる。鳩山家は裕福ではないが高貴である。鳩山の母はブリヂストン創業者の石橋正二郎の長女であり、鳩山と弟の政治活動に大きな財政支援を行ってきた。

 鳩山一族の信条は友愛(fraternity)であり、鳩山和夫の時代から中国との深い関係がはじまっている。鳩山和夫早稲田大学の前身である東京専門学校により多くの中国人留学生を受け入れるよう促し、外交においては「長崎事件」にあたって清朝と交渉を行い、その解決に対して清朝から叙勲を受けている。鳩山も弟の邦夫も、ともに日中友好に関わる機構での在職経験をもつ。鳩山家は名家ではあるが、“鳩山”はよくある名字ではない。京劇「紅灯記」において日本の憲兵隊長の姓は“鳩山”だが、皮肉なことに、ネット上の流言によると、現代の抗日京劇では“鳩山”の姓を使うことは禁じられているそうだ。

 この権力の中枢である“バラ園”に育って政治から逃れることはむずかしいだろう。鳩山自身もスタンフォード大学理学博士であり大学で教職を務めながらも、最終的には政治に向かった。昨今日本社会で世襲政治がますます関心を集めているが、鳩山一族だけでなく現在の安倍晋三首相も、麻生太郎小泉純一郎福田康夫といった元首相達もすべて政治一家の出だ。 

 鳩山の人生のピークは2009年8月30日、民主党政権を率いて自民党を打ち砕き、戦後の自民党一党体制を打倒した瞬間だろう。このとき、鳩山は民主党初の首相となり、また1996年以降で初の非自民党の首相となったのである。

 しかしこれは挫折の始まりにすぎなかった。就任して数ヶ月で鳩山は沖縄米軍基地の移転という公約を実現できなかったため失意のうちに辞任した。わずか265日の在任だった。その後の三年間、首相の頻繁な交代が続き、海外メディアからは「朝に首相と握手をして、午後になると別の首相と握手をする」とまで言われた。2012年の選挙で民主党は惨敗し、鳩山もその年に政界を引退した。そして2006年に首相経験のある安部晋三が首相に返り咲き、民主党は2016年、維新の党と合流し民進党が誕生した。

 こうして混乱を極めた日本政治は変動から安定を志向するようになり、自民党の一極支配が復活し、現状では総理に匹敵する力をもった人物は自民党内にも見当たらない。こう言ってもいい。民主党政権は日本国民を失望させ、自民党と安倍以外の選択枝を消滅させてしまった、と。 

 明治維新以来、日本は脱亜入欧とアジア本位とのあいだで揺れ動いてきた。戦後、鳩山一郎安倍晋三の祖父岸信介等が自民党を設立し自民党は1955年に議会の過半数を獲得、この趨勢は90年代まで続いた。いわゆる“55年体制”である。鳩山由紀夫は鳩山家の後継者であるが、民主党の党首となった。これは家族政治の継承において、ある意味では政治理念による反逆的色彩をもつ。

 こうした背景のもと、鳩山が提示した東アジア共同体の理念、および日米中それぞれに対する態度は日本国家が転換してゆく、そのひとつの模索だったと言えるだろう。わたしは2017年初頭から東京大学の客員研究員となり、中日経済の比較研究をしているものであり、もともと政治とは関わりのない人間だ。しかし日本の“失われた20年”を理解するためには社会の変化は必要不可欠の座標軸だ。鳩山由紀夫と彼が代表する思想はまさに、日本にかつてあり、そして今も続く移行期における、変革への努力のひとつだ。彼の考えを知る必要がある、とわたしは思う。

  このとき店員がわたしの思考をさえぎり、声をかけてきた。店員は慇懃にそして少し決まりが悪そうに「注文はお決まりでしょうか」と聞いてきた。これで三度目だ。腕時計を見るともう2時10分だ。まさか鳩山は道に迷ったのだろうか(わたしはそれでしばしば遅刻する)。そんなはずはない。ここは鳩山の秘書が指定した場所で、日本の政治家が集まる永田町にある。ホテルの正面には首相官邸があり、国会議事堂も隣にある。かつて永田町の主であった彼にとっては地元みたいなもので、当然熟知しているはずだ。

 あるいは鳩山氏はこのインタビューのことを忘れたのだろうか。これもあり得ない。たしか彼は首相在任中“宇宙人”と呼ばれていた。彼の白眼が妙にくっきりとしていることと、その発言がしばしば日本人を驚かせるというのがその理由だ。――驚かせる。これは日本ではいい評価とは言えない。日本人は安定を好み、驚きは往々にして困惑を意味する。そして日本語の“めんどう”“じゃま”に対応する中国語の一つが“迷惑”だ。これはただの文化的偏見だとも言えない。聞くところによると、江戸時代、死罪となる罪状のひとつに“人を驚かせるようなことをした”というのがあったそうだ。そして今日の日本人の習慣の多くは――魚の生食から米食まで――江戸期に形成されたのだ。(訳注:“驚かせる”の原文は“感到意外”、つまり意外に感じるという意味だが、そんな罪状が果たして江戸時代にあったのか、訳者は強く疑問に思う)

 2時15分、鳩山が悠揚迫らぬ態度であらわれた。わたしは半時間ばかり思索にふけったことになる。

  彼は濃紺のスーツを身につけ、そのスーツは仔細に見れば細かい縦縞が刻まれている。180センチに近い背丈は日本人にしては高いほうだ。肌の色もどちらかと言えば濃いほうかもしれない。髪は真っ黒だ。しっかりとワックスで固めていて、後ろになでつけている様はきっちりとした性格を思わせる。外見から言えば、引退してなお仕事を続ける多くの要人達と同じく、鳩山も実年齢より20歳は若く見える。わたしは彼の容貌をさっと観察してみたが、“宇宙人”と噂されるような特徴は見出せない。白目にしてもかつて見た写真ほど大げさではない。しかし表情の変化はとぼしく、微笑みもぼやけた印象だ。そのわけはのちに判明することになる。

 彼は第一声、中国語で“ニーハオ”と言った。声は低い。一同腰をおろすと、彼はインタビュー時間が1時間であることを強調した。わたしは少し驚いた。もともと一時間半の予定だったからだ。慌しい東京では1時間の面会や食事は珍しくないが、今度の“あなたと午後の茶を”ではもう少し長い時間が欲しかった。けれど相手がそう言う以上しかたがないことだ。フィッツジェラルドは「金持ちはおれたちとは違う」と言っている。それなら裕福で且つ高貴な人なら、われわれとはもっと違っているのでは?

時間は少ない。お茶を飲もう。鳩山は英国式ミルクティーを注文し、わたしは午後にさわやかな紅茶を飲むのが好きだから、ダージリンティーをたのみレモンを添えてもらった。 

 わたしはちょっとした中国の贈り物を彼に渡した。入っていた袋には中国風の花鳥画が描かれている。鳩山は袋のほうに関心をもったらしく指でその絵柄に触れるといかにも興味深いといったふうに「鳥ですね」と言った。このときわたしは気がついた。彼の淡い紺色のシャツに鮮やかな色で丸柄が刺繍されているほかに、黒のネクタイには銀灰色の鳥模様の刺繍がある――“鸠”はもともと鳥の意味をもつが、日本語でもハトを意味する。これは鳩山も南京で話していたことだ。

 鳩山の面貌が温かくなり、わたしに東京大学で学んでいるのかと聞いた。東京大学東京帝国大学の後身の最高学府、とりわけ行政機関に多くのエリートを送り込んでいることで知られる。試験は簡単ではないが、鳩山家は五代にわたって東京大学に入学している。聞くところによると鳩山の息子は、東京大学を卒業後、父の初期キャリアと同じく、今は学者になっているそうだ。

 わたしは現在東京大学に客員研究員として在籍していることを説明し、あわせて質問を投げた。なぜこの場所を指定したのか。前述のようにこのホテルは永田町にあり、首相官邸は目と鼻の先だ。政界を引退した以上かつての職場で懐旧に浸る必要もないように思えた。わたしは重過ぎない質問から始めようと考えていたが、内心、朝何を食べたかといったことを聞いたほうがよかったかもしれないと思った。なぜなら鳩山自身、かつて国会質疑において当時の小渕恵三首相にそんな質問をしたことがあるからだ。多くの日本人は理解し難いものだったようで、これも鳩山がしばしば変わったことをするという一例だ。

 彼は事務所がここから近いのだとこたえ、それから思い出したように補足した。わたしたちが事務所まで来ると思ってずっと待っていたから遅刻したのだと。なるほど。少し空気も和んだようだ。彼がここに入ってきたときのあの無表情の下には、多少の驚きと不愉快があったのだろう。

 わたしは説明した。FT「あなたと午後の茶を」はカフェのような場所が選ばれること多い。リラックスした空気が好まれるからだ。わたしは鳩山が自宅の近くを指定するだろうと思っていた。FTはかつて“At Home with the FT”

という企画で取材に伺ったことがある。そのときは鳩山夫妻入魂のデザインになる家とコレクションを見せていただいた。それは鳩山会館とは違い、高級住宅街として名高い調布市に、夫婦自ら建てた私宅である。「家とコレクションを拝見しましたが、とても美しいものでした」と恭しく述べると、鳩山はうなづいて「ありがとう」と言った。

 事務所の話がでたのでわたしは名刺を見た。住所は確かにこの近くだ。白地に黒い字ではっきりと“世界友愛”といった字が書かれてある。そして東アジア共同体研究所という言葉が目立つようにマークされている。これは彼が政界引退後にはじめた事業のひとつだ。わたしは説明を求めた。

 鳩山は話しはじめた。首相辞任後すぐに東アジア共同体研究所をつくった。なぜなら彼の夢は東アジア共同体を実現させることだからだ。彼は一貫して戦争によって平和な世界をつくることはできないと考えてきた。「では平和はいかにして実現されるか」彼は自問した。「対話と協調によってです。いかにして東アジアにおいて対話と協調を根付かせるか、わたしはずっと考えてきました。わたしにとって“友愛”ということばが鍵になります。それを世界に広げていきたいと思っています」そして彼は力をこめた。「一番このことばを理解しなくてはいけないのは日本かもしれません」近年彼は1年に7、8回は中国を訪問するほかに、ベトナムなどの国にも赴いている。今日はネパールから帰国したばかりだという。

 わたしは笑って、自分が上海からきたこと、そして上海でお会いしたい旨を伝えた。鳩山の表情にも笑顔がうまれた。「ありがとうございます。わたしの妻は上海で生まれました。とても行きたいと思っています」

 その話は知っていた。幸(みゆき)夫人の人生はとても興味深いものだ。上海で生まれ、後に宝塚俳優になり、それからアメリカへ渡り結婚したのだが、今度はカリフォルニアで鳩山と出会い恋に落ちた。現在でも二人のおしどりぶりは有名だ。

 挨拶もそこそこに本題に入ることにした。わたしはインタビューの前にSNSに情報を流したのだが、多くの中国人が鳩山への挨拶を希望し、また現在の日中関係について語ってほしいと言った。

 鳩山は手をあわせ身振りで感謝をあらわした。中国人の彼に対する関心についてだ。中国人から比較的大きな支持を受けていることをずっと感じていると彼は言った。「今、日中関係はよくないですね。まず政治がよくない。そして以前は“政冷経熱”と言われていましたが、今は政治が経済交流にも影響をあたえています。これはよくない傾向ですね。問題はどこにあるのでしょうか。一番は現在の首相でしょう。彼は中国を脅威とみなしています。これは彼の個人的考えであるわけですが、それを対外的に宣伝もしています。これは国内の支持率を得るためには有用かもしれませんが、両国の関係にとっては違います。こうしたシグナルを発することは世界にとってもいいことではありません。首相は考えを改める必要があるのではないでしょうか」

 鳩山は自ら安倍首相の話題をもちだした。自然に眼前の永田町のことがまた脳裏にのぼった。ここ永田町は政治家の象徴だ。ちょうど霞ヶ関が官僚の象徴であるように。日本社会の権力構造において、政治・経済のほかに官僚の力は絶大だ。現在でも官制社会と呼ばれるような面がある。わたしは来日前に多くの人に聞いてみた。本当に政策を決定しているのは誰なのか。多くの人が政治家ではなく官僚と答えた。

 永田町と霞ヶ関の力学は日本政治の一大特徴だ。二者が協力することもあれば微妙にバランスをとりあうこともある。ならば鳩山に聞いてみよう。わたしたちは今永田町にいますが、実際は多くの政策において霞ヶ関官僚の影響が大きいことはみんな知っています。では、外交はどうでしょうか。首相は大きな力をもっていますか?

  質問を終えたときには茶が来ていた。白磁で机がいっぱいになり、植物の緑とのコントラストがいい具合だ。

 「否定はできません。確かに官僚の影響力はとても大きい」鳩山は官僚の影響力を認めた。しかし外交に関してはこう述べる。「官僚がもっとも重要視しているのが日米同盟です。日米関係が良好でさえあれば彼らは昇進のチャンスを得ることができます。彼らが出世したいと考えたとき、日中関係を良くしようとはならず、日米関係を良くしようとなりますから、日中関係はあまり重視しません。それは彼らの昇進蓄財にはあまり関係がない。今日米関係が良好であればそれでオーケーなのです。外務省の官僚には大きなエネルギーを割いて日中関係を好転させる、その動機がありません。こうした官僚の思考が日中関係を改善困難にしている主要な原因です。

 流行している見方がある。近年のみの傾向ではなく、日本は戦後一貫して日米外交を機軸としてきたという見方だ。日本外交は総じて日中関係に重きをおいてこなかったと鳩山は総括するが、これはその重要な背景だろう。「官僚と安倍首相の方向は一致していますが、安倍首相はさらに一歩進んでいます。中国脅威論をとても強く主張しますね。官僚は黙っています。なぜでしょうか。首相が官僚の人事権をしっかりと握るようになったからです。彼らが立ち上がり公式に反対したり、首相は極端であると言ったりすれば、その先は続けられなくなります。あるいはそこで首を切られるかもしれない。官僚は首相の意思に随うほかありません」

 鳩山が語ったのは政治家の官僚に対する人事権掌握についてだ。この種の話を聞くのは日本に着てから初めてではない。政界において政治家と官僚の力関係はシーソーに似たところがある。今官僚は下にいて、政治家が上にいる。官僚に対する社会的評価も低い。高級官僚が引退後に関連企業に天下りすることも難しくなってきている。東京大学はエリート官僚の“供給商”として、官僚システムのメインストリームで重要な位置を占め続けているが、ある先生がこんなことを言っていた。最も優秀な学生が、以前のように官僚になりたがらなくなっている、と。

 鳩山も在任時に打倒官僚のスローガンを掲げていたが、官僚の権力が縮小傾向にある現在、彼はどう考えているのか、わたしは興味があった。「こんなふうに言うこともできます。バブル経済のあと、政治家は官僚から権力をとりもどそうとしてきた。90年代の橋本龍太郎の時代にもそうした傾向があり、鳩山先生の在任時にも官僚を大いに攻撃しましたね。現在安倍首相はこうした歴史の上で、官僚に対して勝利したと言えそうです。しかしこうした状況をあなたは憂慮しているのではないですか?」

 質問の前提に対して、鳩山は一部訂正をおこなった。彼によれば官僚と政治家の対立の歴史はそこまで長いものではない、冷戦期には政治家は官僚の書いた答案を読んでいればそれでよかった。その時代には大きな変化はなかったからだ。冷戦が終わり、世界は大きく動きはじめ、それからずっと転換期にあるという。彼はこう評した。官僚システムは既にあるものを守ることには適している。平穏な時代には大きく干渉する必要もなく国会を率いて前進することができるが、現在官僚システムはあきらかに不調をきたしている。政治家が主導しなくてはいけない。民主党政権の前、自民党はこれに関してはさほどの努力をしてこなかった、と彼は強調した。民主党政権から政治主導の訴えが始まったのだ、と。

 鳩山は民主党のために弁解しているのだと思っていたら、驚いたことに彼は続けて正直にこう語った。「しかし民主党の試みも成功したとは言えません。失敗したと言ってもいいくらいです。当時官僚から強い反対の声があがりました。メディアも財界も賛同してはくれませんでした。安倍政権は民主党の失敗を教訓として、あなたのおっしゃるとおり、勝利したと言えるでしょう。安倍政権は人事権を掌握し政治主導を実現したのです」鳩山は続いて不安を口にした。「けれど危険がないわけではありません。もし政治家が誤った判断を下したらその国家は道を誤るでしょう。そのとき官僚はたちあがって、これは間違っていると言い、正しい方向に戻さなくてはいけません。官僚にそうした能力があるのか、そして声をあげることができるのか。これは重要なことです」

 われわれは話しながら、ときどき窓の外に目をやった。庭園の面積はさほど大きくない。一方には鬱蒼とおいしげる草木の中に紅い花が鮮やかに映える丘、そして波光のゆれる池があり、もう一方には黒と白を組み合わせた抽象的な高い壁がある。日本式の独特なスタイルだ。小さな空間の中に風雅をつくりだし、簡潔で大柄だ。

 前述のように、外交に話が及んだとき鳩山は、自身の首相在任中に東アジア共同体のアイディアを提出したにもかかわらず、現在外務省では誰もそれをとりあげないことを遺憾そうに語った。日中両国を含めて、多くの人が関心をもっている話題だ。東アジア共同体、あるいは汎アジア主義は日本の政界ではもう死に絶えてしまったのか?この質問は少し直接的すぎるかもしれなかったが、時間の制限から、わたしは回り道せずにはっきり聞いた。

 わたしは質問をして頭を垂れて茶を飲んだ。白磁にはすべてうっすらと金の縁取りがなされていることに気がついた。雅なものだ。日本の家屋にしばしば金色が使われるが、多くはしっくりと場になじみ、俗に流れない。聞くところによると、日本の金色に対する愛好は古代朝鮮からの影響があるそうだ。朝鮮半島は歴史上、日中交流において無視できない役割を果たしてきた。東アジアの歴史ついて話しだすとまったくこんがらがってくる。 

 これに関して鳩山は軽々しく首肯しなかった。東アジア共同体は確かに進展しなかったが、政界において死に絶えたとは言えない。「現在の民進党民主党の衣鉢をついでいるわけですが、外交はだいたい日米関係を強調しますね。自民党とさしたる差はありません。けれどそのことは政界全体がこれに関心を失ったことを意味しません。東アジア共同体を基礎とした自由貿易協定には日本はやはり興味をもっています。たとえば東南アジア諸国連合10カ国に日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国が参加する東アジア地域包括的経済連携などです」

 彼は経済的な連携が深化すれば、その地域において共同体的な概念が発展してくる可能性があると考えている。「海外でのほうがこうしたアイディアに関心がもたれているようですね。たとえば習近平氏の類似概念です。海外で注目が集まれば、いづれ国内でも新たに政治家の関心をひくようになるでしょう。今多くの人は関心を失っていますが、決して死に絶えたわけではありません」

 「日本社会がどんどん保守的になってきているという考えかたもありますね。あるいは自分のことにほうに関心があると言ったほうがいいでしょうか」日本とアジアとの関係は簡単にはまとめられない。ある面では、日本にアジアへの視座は欠けていないし歴史的な基礎もある。しかし別の面では、近年アジアを疎んじるような態度になってはいないか、これも日本で議論される重要な案件である。

 鳩山の熱量もあがってきた。日本はただ自国のことを考えているというよりは、アメリカの後ろにひっついていると言うべきで、視線は日本海ではなく、太平洋を向いていると言う。「こうしたやり方には賛成できません。特にトランプ政権は多くの要求をしてきます。それらにすべて応えることは本当に日本のためになるのでしょうか。わたしは違うと思います。日本はアメリカだけに眼をむけるべきではないのです。ところが日本社会のアメリカ重視は歴史上最高の域に達しています。これを保守と言っていえないこともないですが、それは日本第一主義、日本を最も重視するのとは違い、アメリカの行く路に従うことを意味します」

 アメリカの話になると、鳩山の話も密度を増してくる。2009年、民主党が政権を獲得する前、ニューヨーク・タイムズは鳩山の論文「日本の新たな道」を掲載した。鳩山はその中で、地域の一体化を進めることでアジア諸国の間の分裂と衝突はなくなり、それが日本の国益になると主張した。鳩山は外交において、一貫して日本の方向性を批判してきた。だからわたしは過去の論文のことも話題にだした。そのときから10年経ったがアジア一体への状況は後退したようにみえる。日本以外に深層レベルでの原因があるとすればなんだろうか?

 この話題になって鳩山の語調は明らかに速くなった。彼は言う。この論文はもともと日本の雑誌「voice」上に日本語の全文がのったものだ。これも彼が反米とみなされるようになる原因となった。アメイカ人はニューヨーク・タイムズを読んで彼が日米同盟を破棄しようとしていると思ったようだ。政権内部の彼に対する認識もここからはじまったのだ。

 この論文は大きな波紋を引き起こした。多くの場合、この論文は鳩山がニューヨーク・タイムズに寄稿したものだと認識された。わたしは補足として確認した。「これはあなたが寄稿したものではなく。ニューヨーク・タイムズが転載したものだったのですね?」自分は寄稿していないと鳩山ははっきり答えた。あれはニューヨーク・タイムズが“勝手に転載したのだ”と。

 続けて鳩山は執筆の経緯を説明した。「あのとき論文を書いたのは、もうすぐ首相になるところでしたから、自身の主張を発表したかったのです。みなさんにわたしの考えを知ってもらいたかった。はっきりとした目的がありましたから、力を入れて書きました。わたしの考えだけでなく、論文ではアメリカ主導のグローバリズムへの批判も行いました」鳩山は、これも彼がアメリカから嫌われた原因だと考えている。今でも彼は自分の批判は理にかなったことだったし、時代錯誤ではなかったと感じている。主張も変わっていない。そういえば、鳩山家とアメリカとも深い関係がある。曽祖父の鳩山和夫は文部省派遣の第一回アメリカ留学生としてコロンビア大学とイェール大学で学んだ。鳩山由紀夫スタンフォード大学で博士を取得している。

 しかし鳩山は、自身は反米ではないと言う。そして彼は東アジアが和解することは可能だと考えている。彼によれば、まず日本が過去の侵略戦争、中国と韓国にあたえた傷に対して反省し真摯に謝罪する必要がある。そして領土問題の解決も難しくないと言う。彼は日中間で争いとなっている尖閣問題をとりあげた。この問題への対応により彼はかつて手痛いダメージをうけたことがある。「周恩来田中角栄の時代、明文化はされていませんが、たしかに棚上げ合意が成立していました。それが領土問題となってしまった原因は、主として日本側が現状を変更しようとしたことにあります。それは一種の挑発でした。そして中国側はそれに反応したのです。ですから、この問題は日本側にそもそもの原因があるわけです。中国、韓国側に何か問題はあるでしょうか。もし日本が挑発しても、中国、韓国が過剰に反応せず軽くスルーしたとしたら、問題解決につながる可能性はありますね」

 アメリカに話がおよんで、どうしても聞いておかなくてはいけない質問をする機会がきた。沖縄の米軍基地問題だ。沖縄の米軍基地は一貫して日本社会が頭を痛めている問題だ。沖縄の面積は日本の1%に過ぎないが、そこに在日米軍の70%が集中している。鳩山は首相就任前、米軍基地の県外移転を主張していたが、最終的には米国との折衝がうまくいかず、かえって鳩山が退任するきっかけとなってしまった。現在でも、この問題を日本の友人と話しをしていると、その多くは頭を振る。鳩山は約束を破った、能力不足であると。では、もっといい方法はなかったのだろうか?わたしそう聞いて茶を口にいれ、ひそかに息をついた。

 鳩山は珍しく数秒沈黙した。感情はおもてに出ていないが、語調はあきらかにゆっくりになった。「わたし自身遺憾に思っています。個人としては普天間基地を県内の別の場所にではなく、最低でも県外に移転すると主張していました。しかし首相になっても実現することはできませんでした。今からおもえば、もっとふさわしいやりかたがあったのかも知れません。一番は直接オバマ大統領と一対一で交渉することでしょう。それを繰り返すことができれば状況は違っていたかもしれません」

 彼は茶を飲み、窓の外の庭園を眺めた。そして回想を続けた。「基地問題を解決できなかった大きな原因は、当時協議にあたったのが日米双方の行政官僚で、わたしは直接参加することができなかったことです。ただ報告を受けるだけでオバマ大統領と直接話しをする機会をもてませんでした。ウィキリークスによる暴露からもわかるように、当時の日本の官僚はわたしの指示通りには動きたくなかった。対米迎合を志向していました。ですから当初から官僚は基地の県外移転を望まなかったのです」彼は自分が間接的にしか協議に参加できず、そのためにミスリードされたのだと強調した。彼自身は当時、外務官僚に対して直接アメリカの大統領と交渉する機会をつくれないかと問うている。しかし官僚からの助力はえられず、両国の首脳がこの件に関して直接交渉するにはいたらなかった。「官僚が障碍でした。あのとき官僚が背後で何をしていたかわかっていたら、状況は違っていただろうとおもいます」

 午後の東京、日の光が温かみを増し、窓の外の湖面を斜めからなでている。微風が吹いて波紋が広がり、小さな渦ができる。

 難しく敏感な対外問題を語り終え、話は国内問題に戻る。鳩山はおそらく中国人が最もよく知り親しみを感じている政治家の一人だろう。しかし日本人は違った見方をしている。わたしは鳩山に、多くの中国人はあなたのことがとても好きだと言った。「けれど、中国や韓国に対するあなたの謝罪方法は、日本国内において、それも多くの普通の日本人にとって、理解しがたい、あるいは不愉快なもののようですね」

 鳩山は自分もよくわかっていると言った。そしてそれは日本が右傾化しているからだと説明した。自分は間違っていない、と。「右傾化した結果、今の日本は外交上アメリカに追随しています。アメリカを日本の上位においていますね。そこには上下関係があるのです。アメリカに追随して東アジアにおいて中国・韓国よりも上に立っていたいと願っているのです。当然、中国・韓国とは外交上の衝突が生じます。また別の方向から見れば、右傾化の結果多くの人の考えがこんなふうに変化しました。すなわち、戦争が終わってもうだいぶん時間がたつのに、なぜわたしたちは謝らなくてはいけないのか?と。わたしはこう考えます。傷を受けた国家あるいは国民がわたしたちを赦し、もう謝らなくてもよいと表明するまで、わたしたちは絶えず反省し謝罪する必要があります。それは戦争における加害国の責任です。――それはある意味、無限責任だということです。こうした責任は、相手側が謝罪の必要はないと完全にみとめるまで終わらないのです。このような発想は日本国内ではあまり受け入れられません。これも右傾化の表れです」

 鳩山は続けて言う。こんな状況がずっと続くはずがないと。「たしかに現在、多くの人が批判し、反対しています。実際わたしだって面白くはありません。けれどわたしは未来に希望を抱いています。なぜならいつかきっと日中韓が手を取り合う日がくるからです。そのときわたしの主張が再評価されることでしょう。互いに衝突・対立していては、手をとりあうことはできません。衝突・対立を解決するためには、わたしの主張は効果的です。だからわたしは日本人として、中国・韓国に謝罪をするのです。わたしは間違っていません。現在の日本社会が問題なのです」

 間をおかず、鳩山は補足をした。「簡単に言えば、アメリカに追随しているために、日本人はアメリカに対して劣等感を抱えているわけです。では心理的平衡はいかにして保たれるでしょうか。それなら中国などアジアの国々に対して優越感をもてばいい。しかし中国も韓国も経済は立派ですね。中国経済はすでに日本を越えています。それで日本人は心のバランスがとれなくなるのです。こうした心理があるために、右寄りのイデオロギーが容易に受け入れられてしまうのです」

 見方によっては、世界全体が右傾化しているとも言える。そして日本には“空気を読む”という言葉があり、周囲にあわせない人は“空気読めない”と言われてしまう。それが実に社会的な正しさを求める言い方でもあるのだ。わたしは続けて問うた。「鳩山先生はこの理屈をおわかりでいらっしゃるかと思いますが、それでは日本でコミュニケーションをするときに、人にあわせてものを考えますか?それとも空気を読んだ上で、それでもその社会的な正しさに従いたくないと考えますか?」

 鳩山はきっぱりと答えた。「わたしは空気を読みません、なぜならその空気が間違っていると考えるからです。日本の政治的正しさは政治的な間違いです。社会全体が右傾化している、それがおかしいのです。わたしは空気を読んで従うのではなく、読んだ上で空気を変えたいのです。政権だけではありません。メディアはほとんど安倍首相を批判しません。安倍首相への批判は自己検閲の過程で捨てられてしまうのです。安倍首相を批判できないメディアばかりになって、自分の頭で考えたくない人たちは彼らの報道を信じるものです。メディアがつくりだした空気を信じてしまうのです。そうして社会全体がますます偏っていくのです」

 彼は続けて言った。「それは間違っている。人は考えることを止めてはいけません。日本人として、間違った空気・間違った環境の中でこそ、自分でしっかり考えてゆっくりと糾していかなくてはいけない。それがまっとうなやり方というものではないでしょうか。わたいは空気を読んでどうこうするという発想はしません。空気が間違っているなら、自分で考えて、自分で変えてゆくだけです。ことに外交面では、日本はアメリカに追随していますが、これは危険です。なぜならアメリカは戦争に向かう可能性があるからです。中東だけでなく、朝鮮半島でもそうです。もし自衛隊が巻き込まれたら、多くの人が戦争で命を落とすでしょう。日本は二度と戦争をしないと誓った国なのですから、これは大きな間違いではないですか?危機は眼の前まで迫っていて、このような状況はそんなに遠いものではないのです。みなさんがよくよく自省して、目を醒まし、周りの空気に呑まれないようにしなくてはいけません」

 戦争の話となると改憲は避けて通れない問題だ。「改憲も日本で大きな論争となっています。多くの人が日本は“普通の国”にならなくてはいけないと叫んでいます。あなたはどうお考えですか?」鳩山はまず“普通”という言葉が“normal”という意味であることを確認した。少し沈黙して彼は言った。「戦争できる国が普通の国であるならば、日本は普通ではない国であればいいではないですか。安倍首相が改憲したい理由の一つは、国家はときに戦争をせねばならぬ、普通の国としては戦争ができないのは問題である、ということです。この観点から言えば、日本が普通ではない国であるというのは不幸なことではありません。日本が真剣に普通でない国であろうとすることは、とても素晴らしいことではないですか」

 「憲法改正に関して言いますと、安倍首相の方向は国家権力を強化し、国民の権利を制限しようというものです。これは立憲主義の原則と矛盾します。なぜなら憲法の存在意義はまさに国家権力を制限し、国民の権利を守ることにあるからです」鳩山は補足した。自身も憲法改正に反対はしない、これに関して本を書いたこともある、しかし自分の考えは安倍とは完全に逆である。人権をさらに強化する。これが正しい、と。

 わたしたちの対話を引き立てるように、うしろから星付きホテルにおきまりのBGMが聞こえてくる。それは男達の商談の声、女たちのたおやかな笑い声、そしてグラスの触れ合う音が重なった不思議なシンフォニーだ。

 すでに一時間は越えてしまったが、鳩山の落ち着いた口調はかわらない。わたしは最後の時間を経済にあてることにした。わたしは彼に、自分が日中経済の比較研究を行うために来日していることを説明した。日本の“失われた20年”が中国にとってどのような意味をもつのかを探りたいと思っている。成果は本にするつもりだ。鳩山自身は日本の経験はどのような啓発的意味をもつと考えているのだろう?

 鳩山はわたしがこのような質問をするとは思っていなかったようだ。彼は思考の整理のため少し言葉を保留し、やがて整然と三点を述べた。一に、経済政策に関しては日本を反面教師としなくてはならない。経済を刺激するためにバブルを発生させ、抑制のために引き締めを行う。「この過程の中に多くの誤りがありました。バブルが発生し弾けた。軟着陸はできませんでした。引き締めを行うという決定は間違いではなかったかもしれませんが、その過程での経済政策が失敗だったのです。日本のバブル発生と引き締め過程における失敗は、今の中国が学ぶべきものだと思います。その中での経験と教訓、とりわけどこに誤りがあったのか、中国が日本と同じ轍を踏まないための優れた反面教師となるでしょう」

 彼は続けて二点目を述べた。彼によれば中国の主要都市、例えば北京・上海・広州といった都市の地価はすでに高騰しすぎており、ほとんどの市民にとって買えもしない、借りられもしないというレベルにまで達している。これは当時の日本と似ていると言っていい。「中国は当然政策を打ち出して、価格を正常に戻そうとするでしょうが、その過程に危険があります。引き締めを行うときにどのような経済政策をとるのか、日本の真似をしてはいけません。少なくとも日本が失敗したやり方というのはわかっているわけですから、中国政府は同じことはしないでいいでしょう」中国と日本で違っているのは、中国にはまだ発展の潜在力があるということだと彼は補足をした。その意味で、中国はやはり新しい経済体だから、日本とは違っているようだ。日本のバブル崩壊と同じような危機には陥らないのはないだろうか。

 彼は最後に指摘した。社会保障制度の観点から述べると、日本では年金や介護保険といったしくみがすでに出来ており、運用実績もある。これも中国が参考にすべきものだ。鳩山は中国が急速な高齢化局面にあり、国家がより包括的な社会保障制度をつくり必要があると認識している。日本の制度が完全であるわけではないが、中国は日本を手本とすることができるし、制度の不備を補うことでよりうまく将来の高齢化社会に対応できるはずだ。

 すでに一時間十五分が経過した。わたしは急いで最後の質問をした。鳩山はまだ落ち着いてお茶を飲んでいるが、きっと次の予定が入っているはずだ。何気なく時計を見ていたように思う。「あなたは政界を引退なさって、年齢はもう70歳になりますが、これからどんなことをしたいですか?学者にならなかったことを後悔していませんか?」鳩山家を継ぐのはもともと弟である邦夫氏であったという話もある。二人の政治スタンスは違っていて、邦夫氏は自民党の中核を担ったが昨年世を去った。

 鳩山は笑って、後悔はしていないとはっきり言った。首相になって大きな成果を残せたとは言えないが、政治の世界に足を踏み入れ、政治家となったことに関してはまったく後悔していない、と。「もう離れてしまいましたから、政界に戻ることはないでしょう。ただ同時に責任も感じています。なぜなら民主党政権が続かなかった責任はわたしにあります。そして民主党政権の失敗が安倍長期政権を生み、結果野党の力を弱めてしまった。安倍政権一強で野党の劣勢が続くこの状況に危機意識を持つべきですし、わたしは自分の責任を果たしたい。政治家として正面から挑戦することはできませんが、それなら傍らから手を貸したい。状況が変わって、二大政党がしのぎを削る好循環が回復することを期待します。今後の人生はおそらくこういった方面での活動になるでしょう」言い終わってきっと彼は、わたしが東アジア共同体構想は日本の政治から消えてしまったのかと聞いたことを思い出したのだろう、こう補足した。東アジア共同体構想は続いてゆく。政治の世界においても完全には死んでいない。今後その活動も行っていきたい、と。

 わたしは鳩山に日中関係を題に何か書いてくれるようたのんだ。彼は少し考えて“雨天こそ友愛が輝く、中日の未来に期待する”と書いた。おおよそ、雨天にこそ友愛精神の輝きが増す、中日の未来に期待する、というような意味だ。サインはとても特徴的な“鳩山友紀夫”。南京でのサインと同じく、目的は“友愛”の顕揚だ。

 時間もわずかとなった。窓の外の池が、ぼつぼつと点灯しはじめた五重塔を映し、夕日の波光とともに反射している。忙しい東京で鳩山は気前良く一時間半もの時間を割いてくれた。わたしはホストとして門まで彼を送った。広間を出ると、彼は再度わたしたちに挨拶をした。一人で帰っていく後姿を見て、わたしはFTの同僚が彼にインタビューした後の評価を思い出した。曰く:彼は科学者として、大衆が聞きたくない話を語りすぎた。しかし政治家として、彼はまた沈黙に過ぎた。

 ホテルを離れ、首相官邸を通る際、わたしはついでに何枚かの写真をとった。入り口の警備員は好奇そうに何度かまばたきをしただけで、問い詰められることはなかった。わたしはこれから赤坂で別の会合に出席する。中国関係の仕事をしている日本の友人達と会うことになっている。日本の業界用語ではこういうのを“中国塢”(訳者註:このような符丁或いは隠語を訳者は調べ出すことができなかった)と言う。

 わたしが鳩山と会ってきたばかりだと言うと、彼らの内の一人、元駐中国外交官の津山俊哉はこう言った。鳩山は自身の国内での評価を犠牲にして、日本の国際的な評価を高めたのだ、と。多くの中国人が、日本にはまだ鳩山のような人がいるのだと感じている。いつか日本に何かが起こったときには、日本もこう言えばいいのだ。「わたしたちの国はかつて、鳩山のような人をもったことがあるのだ」

 鳩山とかつて彼が率いた社会とは、どこかそりが合わなかったのかもしれない。しかし見方を変えれば、やはり期せずしてぴたりと噛み合っていたようにも思えるのである。